「国是は有神性(後)」(2019年01月31日)

「sangat satu」?「satu besar」?編集者の言語意識は停止する。その直後にかれは、
幼稚園に通っている末っ子のことを思い出す。幼稚園・・・、そう、nol besar 級だ。
そのひらめきがかれの脳内にイマジネーションの翼を広げて行く。そう、そう、そう・
・・。

何の言葉もなく、かれはうなずきを繰り返す。そう、この宇宙にはsatu matahariが、そ
してsatu Albert Einsteinが存在する。しかし太陽の唯一性を全宇宙という仕組みの中で
見るなら、そうなってはいない。アインシュタインの唯一性も人類の歴史における天才集
団の中で見るなら、陰りを見せる。つまり、よく似たものが他にあり、そしてmatahari
やEinsteinが持っている性質をしのぐものさえあるかもしれない。
神は違う。神は単なるesaでなく、Maha Esaなのだ。表記法など乗り越えた、破格の存在
なのである。

編集者のイマジネーションは更に広がる。空想はあちらこちらと飛び回る。かれはその国
是の一句を案出した人物の言い回しに感嘆する。その言い回しによってインドネシア国民
は、宗教に従って戴く神とは異なる神を信仰するデイズムをも含めて、宗教を問わない信
仰者のひとりになる自由を与えられたのである。この国是第一項目が国家存立の大枠を定
めるのに使われているとはいえ、国事執行者にその信徒たることを要求するような宗教の
公式化という面は存在しない。オルバ支配者が行った、片手で数えられるだけの宗教を公
認宗教にしたような、あんな信仰制限のようなものはありえないのだ。

ならば、不可知論や無神論が選ばれるチャンスについてはどうなのか?その問いに答える
のは難しくない。あなたの人生にとって文民公務員や軍人であることに意味があると思う
なら、知識人じみた行為は慎むことだ。あなたは神を戴かねばならない。正確には宗教信
徒であることが必須事項なのである。しかしもし、公務員給与以外に何の収入もない身で
あっても、考えることにおいて自由人であることのほうが有意義だと思うのなら、どうぞ
ガルーダがつかもうとしないそのふたつの思想の信奉者になりなさい。

ましてやマッフッSD氏はこう述べたのだ。無神論者を有罪にできる条項は見当たらない。
フム、このインドネシア共和国統一国家に生きるのは、並々ならぬことである。マハムル
デカ!てなものだ。[ 完 ]