「宗教教育と道徳教育(前)」(2019年02月07日)

ライター: プサントレン「トゥブイレン」主宰者、サラフディン・ワヒッ
ソース: 2019年1月16日付けコンパス紙 "Pendidikan Agama dan Budi Pekerti"

友人のひとりが、60年程前の中学生時代のことを物語った。あるとき、渡された成績表
の宗教・道徳欄の評点が6になっていた。ファンデフェントゥル学校を卒業した教師であ
るかれの父親は、そんな成績をもらってきたかれを叱った。他の教科はほとんどが8で、
7が少しだけあったにもかかわらず。

父親は息子の教育がうまくやりおおせていないために宗教・道徳が最低点だったと思って
腹を立てたようだ。友人は父親に説明した。成績が6だったのは、宗教科目の筆記試験の
せいであり、道徳教科は試験がなされなかったのだ、と。すると父親は息子が通っている
学校の校長宛てに手紙を書いた。

その手紙が教師だった人物の書いたものだということを知って、校長は学校の全教員を集
めて手紙の内容を検討する会議を開いた。そして最終的に、宗教と道徳の科目を分けて、
それぞれの教科を独立させた。

わたしの記憶では、現在の小学校である昔の国民学校時代に道徳科目はあったが宗教の科
目はなかった。中学と高校では宗教科目があったが、反対に道徳科目はなかった。バンド
ン工大の学習では、宗教科目を二学期間受けた。

いまは、学校に宗教科目はあるが道徳科目はない。そして宗教科目の内容が知識移転傾向
の強いものになっており、人間形成を目指しているものでないことをわれわれは知ってい
る。知識重点主義であり、情操的でないのだ。それゆえ、宗教科目は子供のしつけ教育に
失敗している。

< 正直さを植え付ける >
道徳の核は正直さである、とわたしは理解している。われわれが子供自身の内面に正直さ
を植え付けることに失敗しているのは事実なのだ。大学生中高生徒の非正直さレベルが喜
ばしいものでないことを2017年中旬のコンパス紙サーベイは示している。[ 続く ]