「イングロネシア」(2019年03月01日)

ライター: スエーデン在住言語オブザーバー、アンドレ・モレン
ソース: 2007年4月13日付けコンパス紙 "Kapan Harus Menginggris?"

数カ月前にインドネシアを訪れたわたしは、そのずっと前から、インドネシア語と英語が
楽しく無秩序に溶け合っているのに直面して自分が感情的になるのを抑制しようと決意し
ていた。その現象がますます加速され、妥当な限度など打ち捨てられるようになるだろう
ことをわたしは確信していたのである。

インドネシア語の語彙と文法の間で英語の語彙と文法が楽しく踊っているのを目の当たり
にして当惑の極に達するなど、何の役にも立たないことだ、とわたしは自分に言い聞かせ
た。そのわけを究明しようとしたって、何の意味もない。そんなことに構ってもしかたな
いのである。

それどころか出発前には、もっとカッコよく見られるようにわたしも英語耽溺症の真似を
しようかとさえ思った。家族の者たちに多少でも自慢の種を与えたいから、時々という程
度であっても。そうすることで、言葉の面で多少とも退屈さは紛らわされ、そこに楽しさ
が混じり込んでくれたら最高だろう。

だがそれはセオリーであり、実践は別物だった。インドネシアで数日を経過したあと、英
単語をインドネシア語の文章の中に滑り込ませることが自分にできないことをわたしは確
信した。どうしてか?英語ができないからではない。自分のインドネシア語の文中で英単
語をいつどのように置き換えたらよいのかがわからないからだ。
読者はこう言うだろう。
Lo, itu kan easy sekali!
Lo, that's mudah sekali!
Lo, itu kan very mudah!

イングロネシア(Inggronesia=INGGRis+indONESIA)の言語ロジックはどうなっているのか?
上の表現は全部正しいのだろうか、それともひょっとして全部間違っているのか?

わたしの姑はケーキ作りが好きだ。かの女のレシピ―コレクションはさまざまなソースか
ら集められている。そのひとつである女性タブロイド誌にはcake wortelなる名称が見ら
れた。kue carrotでもなければwortel cakeでもなく、carrot kueでもない。この国のナ
ンバーワン有力紙を見ると、あるホテルにはruang meetingがある。room pertemuanでは
ないのだ。どのロジックが正当なのか、いったいどうやって知ればよいのだろうか?

インターネットのコンパス紙ホームページを開くと、一番下に種々のインフォメーション
が掲載されている。インドネシア語をリードするべきこの新聞を調べれば、その手掛かり
がつかめるかもしれない。

そこにはnasional, internasional, hiburanなどのsubjectが分類されている。形容詞が
subjectとして扱われているのも面白い現象だ。

その中にinteresと題するコーナーがある。こりゃいったい何語だろう?他にも、Kontak 
Jodoh、Informasi Kerja、そしていきなりNews by Email。更にTentang Kami, Iklan、そ
してふたたびいきなりsubscribe。終わり近くにはもっと面白いElektronik Edisi。ふた
つの単語は綴りが既にインドネシア語化されているというのに、語順は英語式だ。インド
ネシア語の法則に従えば、Edisi Elektronikとなるはずなのに。

わたしはもうこの自由交際現象で困惑するには至らない。ただわたしにとって不思議でし
かたないのは、どうしてそのふたつの言語がこんな形で交友を深めているのかということ
だ。だってその結果は困惑とうんざりが続々と作り出されてくるだけなのだから。少なく
ともこのハイブリッド言語はわたしの理解を超越したものである。もしイングロネシア語
講座が開かれたなら、わたしは喜んで受講することだろう。それではsampai later!