「クミングリス(3)」(2019年03月06日) ソスメドコミュニティの中でクミングリスをしなければ、グループ内でのステータスやポ ジションが確保できないことを16%の回答者が表明している。 周辺環境にこの現象があると気になると答えたひとは四人にひとり程度だった。 気になる 23.5% 気にならない 37.9% 普通の感じ 35.3% クミングリス行動がもたらす効果について、回答者は次のような効用がある、あるいはそ れを目指している、と答えている。 ナウい・先端的という評価 39.2% 英会話の訓練 33.3% 社会ステータス強化・権威付け 15.7% 自己アイデンティティ固めの手段 5.9% 国語活動家のひとりはクミングリス現象について、文を組み立てる能力、語彙を選択する 能力、それにもまして筋道の立った思考を行う能力の欠如がその現象を起こさせているの だ、と指摘した。それはつまり、言語能力が弱いことを意味しているのである。 全国的に小中高の学校教育で国語(インドネシア語)の成績が決してよいものでないのは、 昔から言われてきたことだ。もちろん、母語を使うネイティブがすべて国語学者レベルで あるはずもないとはいえ、各国語のQ&Aフォーラムで回答を書き込む母語者が間違った ことをしゃあしゃあと書いていたり、自分の狭い言語体験の外にあるものを存在しないと 表明したり、時に正解に出会っても非母語者のほうがはるかに鋭い観察眼でそれを上回る 回答を書いているできごとをわれわれはしばしば体験するのである。 一人称複数形代名詞のkamiとkitaの違いは、外国人インドネシア語学習者にとって、学習 の初期に教え込まれる重要な項目のひとつだ。ひとつは排他性、もうひとつは包含性とい う観念の違った言葉を持っているインドネシア文化は、その話者にふたつの観念の弁別を 促す作用をもたらしている、というのがインドネシア人知識層の自慢のひとつになってい る。kekamianからkekitaanへの意識転換ということが一時期頻繁に話題にされたものだ。 ところが昨今の若者はどうやらそれすら理解しない者が増えているように見える。kamiと kitaの違いを尋ねる外国人からの質問に大勢の母語回答者(多分十代前半の年齢だろう) がただsameという回答しか与えていないのを目にして、わたしは驚いてしまった。後に なって年長者と思われる回答者が正解を書き、他の回答者たちにもっと勉強しろ、と叱っ ているのを見て安心したことも何度かある。 母語者への盲信はリスクを抱えることになるだろう。とはいえ、不信では何も身に着かな い。異言語学習者はその矛盾を乗り越えなければならない。[ 続く ]