「雨のニュピ」(2019年03月11日) 静寂の日、ニュピ祝祭は今年、残念ながら雨にたたられた。前日午後からバリ島の大半は 分厚い雲に覆われ、前夜祭として祝祭のクライマックスとなる華やかなオゴオゴパレード も雨の中で、その空模様はニュピ明けまで続いた。 おかげで毎年楽しみにしている満点の星空を拝むことが叶わず、年に一度のチャンスを逃 してしまったのは悲しい。地上が闇に閉ざされると、いつも見ている夜空にきらめく星の 密度が違ってくる。比較すると三割くらい星の数が違っている印象をわたしは抱いている。 ただし地上が闇に閉ざされると言っても、現実はなかなかそううまくは行かない。わたし の家のテラスから眺め渡せば、ニュピ破りの家の灯りが四方それぞれに三つ四つ浮かび、 夜間見回りのプチャランたちが向ける懐中電灯の光に照らされてその場限りの消灯をする 家もあれば、プチャランに言われてしぶしぶ消す家もある。何年も前には、プチャランと 口喧嘩する家すらあった。それらの家は、見回り組が去って行けば元の木阿弥だ。 ある年などは、夜中にジャワ人の漁船数十隻が水平線の上に列をなし、煌々と灯りを輝か せて夜中の漁を行っていたこともある。ジャワの漁師がニュピを知らないはずはないわけ で、そのようなことをするからバリ人は事あるごとにジャワ人を毛嫌いするようになる。 盗難事件が起これば、まずジャワ人が疑われることになるのが普通だ。 その年の前には、時に数隻の漁火が見えることはあったが、数十隻の年以降はあまり漁火 を見なくなった。自治体間での話し合いが行われたことは想像に余りある。 ニュピの翌日早朝の三時半ごろを過ぎると、プチャランの見回りは終わる。するとやおら 灯りを点ける家があちこちに出現するのである。午前6時までとなっているものの、それ を守る家もあれば、守らない家もある。今年はいなかったが、何年か前には6時にならな いうちにバイクの爆音が聞こえたことすらあった。わたしはただ体験した実態を物語って いるだけであって、バリ人の宗教祭事を軽視してよいと言う気は毛頭ない。 このニュピ祝祭が国民の休日になったのは1982年11月のことだ。83年3月のニュ ピから全国的な休日になったわけだ。それ以前はバリ州という自治体の中で行われていた ことであり、バリ島への移住者もまだ少なかった時代だろうから、この宗教儀式は今より はるかに整然と行われていたにちがいない。そんな時代のニュピを体験して見たかったと 思うのは、贅沢な希望にちがいあるまい。