「文化宗主国症候群(前)」(2019年03月12日)

ライター: 芸術文化書著作家、批評家、アグス・デルマワン T
ソース: 2013年11月9日付けコンパス紙 "Bangsa Mengambang"

かつてスタン・タッディル・アリシャッバナはこう語った。「外国語を身に着けることに
意欲を持たない民族は、自分の母語を完璧な誇りをもって完璧に身に着けなければならな
い。」

西洋崇拝者であるこのインドネシア語チャンピオンは、スペイン語・ポルトガル語・中国
語・日本語を引き合いに出した。インドネシア民族が意欲を持たない民族のひとつである
ことを示したのである。


インドネシア人が外国語を身に着けることにあまり意欲を持たないとしても、英語文化へ
の傾斜はインドネシア民族にずっと以前から起こっていたのである。50年以上昔に世に
出て一世を風靡したマガラジャ・オンガン・パルリンドゥガン(Mangaradja Onggang 
Parlindungan)の作品トゥアンクラオ(Tuanku Rao)の文章がそれを証明している。英語耽
溺症を示すかれの著作の一パラグラフを読んでみようではないか。

Dibandingkan kepada itu, asal usul dari suku bangsa Batak di sekitar Danau Toba 
malahan relatively paling simple dapat re-constructed. How?? Dengan emparing 
Ethnology, Philology, Mythology, and Folklore. Why?? Suku bangsa Batak hingga 
abad ke-XIX secara sukarela berkurung in splendid isolation di pegunungan Bukit 
Barisan, selama 3000 tahun, selama lebih kurang 100 generations. Very strange 
custom untuk sesuatu Suku Bangsa yang hidup di atas sesuatu pulau. How come??


ここ十年ほどの間、英語耽溺症はインドネシア文化界に湧きおこって、造形や映画などの
芸術世界にその相貌をくっきりと示している。2001年以来(比較的)重要な展覧会は
850回を数えたが、そのうちの65%を占める550超が英語のタイトルになっている。
インドネシアの公共スペースに貼りだされる展示会タイトルはインドネシア人のアート魂
をはためかせる旌旗であるというのに。[ 続く ]