「国語安全保障(後)」(2019年03月20日)

行政や国民管理の場でも、英語の浸透は目を覆うありさまだ。外国語の使用を制限しよう
とするなら、このセクターがもっとも容易であるはずなのに。

われわれのメディアもインドネシア語ポリシーに弱い。さまざまなニュース報道の中で外
国語の襲来からインドネシア語を守ろうという意識を持って努力しているメディアはほん
のいくつかしかないだろう。かれらはインドネシア語の使用と発展に努めているのだ。


フーシャアラブ語とインドネシア語の運命は似たようなものだ。ただ、アラブ民族は一般
的に、言語に関して戦闘精神を持っているところに違いがある。ペトロダラーの諸都市で
若年層が例外になっているのは別にして。インドネシア民族はかれらに劣らず、インドネ
シア語に関わる戦闘精神を打ち立てなければならない。

もうひとつの違いは、アラブの数カ国で公共スペースにおける国語使用が厳格にコントロ
ールされていることだ。外国語彙の使用や外国語風言語構造を織り交ぜることは厳格に取
り締まられている。シリアでは、違反行為に対して事業閉鎖や事業許可取消などの罰則が
与えられる。そもそも、そんなことが起り得ないほど監視と取締りは厳しく行われている
のである。

公共セクター、特にビジネス分野での国語の使用に関して、インドネシアは緩い。モール
や事業所の多くは外国語彙や外国語構造の上に語彙を織り交ぜて載せている。われわれは
2009年法律第24号第31条を持っているというのに、現実にそれが適用される範囲
はとても狭い。せいぜいビジネス契約書の法的有効性程度だろう。

アラブ諸国で言語のコンテキストにおける機関活動は活発だ。その代表的なもののひとつ
が、外国語の使用を監視し、同時にアラブ語の中から対応語を探し出し、それが不可能な
場合はアラブ語の統辞法と語形論に則した形でアラブ語化する仕事をたゆまずに行ってい
るmajma' al-Lughahだ。それは知識共同体に似ているとはいえ、明確な法的権威を委ね
られ、国の立場からそれを行っているのである。

インドネシアでその面における政府の働きはアラブ諸国ほどしっかりしていない。国家ア
イデンティティとしてのインドネシア語の安全保障において、最前線に身を置かねばなら
ないインドネシア政府は、手遅れになる前にアラブ諸国に学ぶべきだ。[ 完 ]