「英語ヘゲモニー」(2019年03月25日)

ライター: インドネシア大学文化科学部、カシヤント・サストロディノモ
ソース: 2012年4月27日付けコンパス紙 "Melawan Dominasi Inggris"

世界中にもっとも幅広く浸透した世界言語として、英語はその反対者からの抵抗を受けず
には済まない。世界が与えるその見解には、往々にして被支配社会の生活秩序を破壊する
ことのほうが多かった植民地支配の歴史の上に形成されたものであるという問題が含まれ
ているからだ。こうして英語優位に対する抵抗が反植民地運動の一部に位置付けられるこ
とになる。ロバート・フィリプソンが著作Linguistic Imperialism (1993)の中で述べた
内容によると、英語優位への抵抗者は非支配社会のみならず、欧州議会議員、英語国の政
敵、地元言語擁護者、更にインテリ英語話者にまで及ぶ、と記されている。

たとえばインドのカリスマ的人物マハトマ・ガンジー氏は、英語がインド社会をその個人
生活と公共生活の両方で、疎外し、毒をもたらし、非ナショナリズム化を起こさせ、奴隷
精神を植え付けたと断じて英語を非難した。ガンジー氏はグジャラート語を母語とし、ヒ
ンディ・タミール・テルグ・マラヤム・マラティの諸語を流ちょうに操った。インドの民
衆に対してかれは、常に自分の母語を忘れずに使用し、英語は仕事の環境内のみ、あるい
は他の公的な状況においてだけ使うように勧めた。つまりガンジー氏は英語全面拒否者で
はなかったのである。スワライとスワデシの原理提唱者としてかれは、外来文化の襲来か
ら自民族アイデンティティの純潔を維持することを重視したのである。

東アフリカのケニアで作家グギ・ワ・ティオンゴ氏は英語優位を、一部エリート国民と提
携するコロニアリズム戦略だとして批判した。ケニアは19世紀末以来植民地化されたが、
アフリカ重視原則は維持してきた。1963年に独立した際に英語を公用語としたものの、
国語にスワヒリ語が選択されたのはそのせいだ。アフリカ諸国機構は国内・域内・アフリ
カ大陸内での教育・経済・通信などの諸分野における原住民の母語使用を勧めている。

ナチズム継承者たちはブリティッシュカウンシルやフランス語公式カリキュラムを文化帝
国主義の化身だと非難している。どちらもが言語画一化を目指して、他の言語が持ってい
る創造的な価値と文化を知的精神的な鋳型にはめて脅かしていると言うのである。かつて
のソビエト学派左翼思想家たちも同様で、英語を世界制覇のための資本主義言語だと非難
した。イギリスも大英帝国語に張合う他の言語を蹴落とそうと圧力をかけていたことは、
証明済みだ。

欧州議会議員たちの中にも、経済・学術・技術面における英語のヘゲモニーが欧州全般の
コミュニティ文化と言語に脅威をもたらしていると懸念するひとたちがいる。フランス語
系住民がマジョリティを占めるカナダのケベックでも、スペイン語の伝統を持つメキシコ
でも状況は一緒だ。その両国は英語を主流とする米国と隣り合わせなのである。おかげで
こんな皮肉がささやかれる始末だ。「神からこんなにも遠く離れて、しかしアメリカとは
こんなに密着して」。

抵抗しようにも英語は強くなりすぎてしまったのかもしれない。ましてやこのグローバリ
ゼーション時代だ。結局、賢明な態度というのは、昔から実際に何度も言われてきたよう
に、英語の使用は妥当で適切な範囲で、というガンジー氏のお勧め通りのものであるにち
がいない。それと並行してわれわれ自身の言語を、ローカルとナショナルの両方で、優位
言語を含む世界中の他の諸言語と対等に太刀打ちできるよう、維持し発展させなければな
らないのである。