「人類の女性化は殺しを忌む(2)」(2019年04月02日)

二十一世紀のインドネシアにも、かつて世界中にあった男の本源がいまだに連綿と脈打っ
ている。強い男が勇者であり、勝つことが優れた人間の証明なのである。

かれらが闘争を行うとき、生命尊重観念に由来する、殺さない程度に叩きのめすという喧
嘩ルールは存在しない。「痛い思い」とはひとつ間違えば死を意味しているのだ。喧嘩に
入ってしまえば相手が死ぬか自分が殺されるかだという作法のあり方は、プレマンが常に
刃物を携帯し、タウランでも敵を殺すことのできる武器が必ず用意され、ゲンモトルも他
人を殺すという勝利を目指して行動している実態を見る限り、その真剣さにおいては真剣
勝負が付きまとっていることを疑う余地があるまい。

インドネシアで下層の現地人と生半可に喧嘩してはいけない、というアドバイスは、下手
をすると生命のやり取りになるからだ。外国人の喧嘩ルールは現地人に通じない。現地人
は相手を殺そうとしてかかってくるのだから。そこにあるのは、殺す人間を強者として英
雄視し、賞賛する文化なのである。その種の男たちを取り巻いているのが、その種の文化
なのだ。ただしインドネシアにあるすべての文化がその種の価値観を持っているなどと誤
解してはいけない。あくまでも、その種の男たちを取り巻いているだけのものであり、決
してマジョリティではない。


2019年1月15日に西ジャカルタ市クンバガンで、赤信号で停まった四輪車の態度に
腹を立てたオートバイの三人が、いきなり四輪運転者を襲撃した。まるで野獣の世界だ。

運転者は刃物で刺され、ひとりで車を運転していたために、出血多量で死亡した。犯人一
味は逃走した。この事件を捜査していた西ジャカルタ市警は3月後半になってやっと犯人
ふたりを逮捕した。ふたりは13歳と17歳の若者で、17歳のほうは地元で鳴らしたゲ
ンモトルのメンバーであり、3月4日にクブンジュルッで起きた強盗傷害事件にも関わっ
ていたことが明らかになった。

クンバガンの運転者刺殺事件も、かれが殺害者だったのである。他人をいとも簡単に殺す
人間を、狂人と考えてはいけない。女性化してしまった文化においては狂人と位置付けら
れるかもしれないが、ここにあるのはまだ女性化しきれていない過渡期の文化なのだ。そ
の中に残されている「男の価値」という旧弊文化がかれらの行動を律しているのである。

かれらは自分が信奉する価値観に従って「殺し」を行っているのだ。狂った脳の作用など
どこにもない。[ 続く ]