「スペイ騒乱(後)」(2019年04月09日)

スラカルタ王宮のパクブウォノ四世がハムンクブウォノ二世の反イギリス姿勢を煽る。ヨ
グヤ王宮とイギリスが対決して、いずれが没落しても、スラカルタにはメリットが生じる
ことになる。ヨグヤとスラカルタの間で叛乱の相談を記した手紙がやり取りされ、その情
報をつかんだラフルズ政府は強硬姿勢に出た。

ラフルズ政府もハムンクブウォノ三世を再度王位に据えて二世を追放するべく運動を開始
し、こうして行き着くところはイギリス軍のヨグヤカルタ出兵となったのである。

イギリス軍という言葉を使っているものの、大英帝国がジャワ島攻略作戦に動員したのは
イギリス東インド会社の軍事力であり、つまりはインド人傭兵シポイがその半分ほどを占
めていたのである。それがイギリス軍の軍事行動をジャワ人がスペイ騒乱と呼んだ裏側の
事情だ。

スペイ騒乱の概要は「ジョグジャ王宮陥落」(2017年11月17日)
http://indojoho.ciao.jp/2017/1117_1.htm
をご覧ください。

戦闘のあと王宮内を吹き荒れた掠奪の嵐は、文書庫にあった古文書類7千編をもロンドン
に運び去って行った。それらは二世紀の間ブリティッシュライブラリーに保管されていた
が、今回そのうちの75編がデジタル記録の形でインドネシアに返還されることになった。

ジャワの伝統文化を発展させるべき王宮所蔵の古文書類がごっそり消えてなくなったので
は、王宮の面目もあればこそだ。ヨグヤカルタ王宮とインドネシア政府は5年前から返還
交渉を続け、粘り強い話し合いの挙句やっと今回の結末にたどり着いた。ヨグヤカルタ王
家現スルタンのハムンクブウォノ十世はイギリス側のこの厚情に深謝を表明している。

掠奪され、持ち去られた王宮所蔵古文書はイギリスの他の博物館にも置かれており、返還
交渉はまた相手を変えて行われなければならない。それはそれで、鋭意継続して行く所存
であるとハムンクブウォノ十世は述べている。

ブリティッシュライブラリー側の話では、Babad Demak, Babad Kraton, Babad Mataram, 
Babad Banten, Babad Pajajaran, Menak Amir Hamzaなどの書がデジタル画像で3万枚ほ
どの量になって戻される由。その内容はヨグヤカルタ王宮とブリティッシュライブラリー
の両方のサイトで見ることができるようになる。

古文書は昔の社会にあったさまざまな思想・知識・慣習・社会ビヘイビアを映し出す鏡で
あり、研究者や学生に大いに活用していただきたい、とハムンクブウォノ十世は希望を語
っている。[ 完 ]