「ポジョッベテン再建」(2019年04月24日) ヨグヤカルタ王宮の周囲を要塞が取り囲んでいる。ポジョッベテン(Pojok Beteng)と呼ば れる防衛要塞システムはハムンクブウォノ二世が1785〜1787年に作ったものだ。 東・西・北・北東の四つの要塞は王宮を中にして相互に1.4〜1.3キロの方形を形作 り、いまだに往時の雄姿を示している。ただし北東要塞は1812年6月19〜20日の スペイ騒乱で、イギリス東インド軍のインド人傭兵シポイ(sepehi)部隊の攻撃によって破 壊されたまま今日に至っており、記念碑だけがひっそりとその址をとどめているばかりだ。 スペイ騒乱は: 「スペイ騒乱(前)」(2019年04月08日) http://indojoho.ciao.jp/2019/0408_2.htm 「スペイ騒乱(後)」(2019年04月09日) http://indojoho.ciao.jp/2019/0409_2.htm をご参照ください。 残っている東西北の三要塞はそれぞれが異なる姿をしており、同じ形の建築物で揃えられ ていないことが観光客にユニークな印象をもたらしている。 ヨグヤカルタ王宮のすぐ北側にVOCが設けたフレデブルフ要塞に入ったイギリス軍は交 渉決裂後の6月20日、目と鼻の先のヨグヤ王宮に対する攻撃を開始した。ほんの5百メ ートル足らずの距離にあった北東要塞はそのときに壊滅したのである。そのときの戦闘の 模様は「ジョグジャ王宮陥落」(2017年11月17日): http://indojoho.ciao.jp/2017/1117_1.htm をご覧ください。 その北東要塞が再建されることになった。要塞の跡地は既に市民が居住や事業のために使 用しており、州政府の調べでは立退きを求められる事業所が23、および35戸の住民が 立退き対象になる。 ヨグヤカルタはスピリチュアル哲学を基盤に置いて設計された街であり、その哲学の中で トゥグジョグジャ(Tugu Yogyakarta)別名トゥグゴロンギリッ(Tugu Golong Gilig)、ヨグ ヤカルタ王宮、パングンクラピヤッ(Panggung Krapyak)を結ぶ一本の軸が生から死に至 る人間の一生を象徴するものとして街作りの基本コンセプトの位置に置かれている。 ヨグヤカルタ哲学軸(Sumbu Filosofi Yogyakarta)と呼ばれるその軸を正しい形に維持する ことがヨグヤカルタ市政を確固たるものにする基本であると考える王宮とヨグヤカルタ政 庁が、北東要塞の再建が不可欠であるという結論を下した。 ヨグヤカルタ特別州知事であるハムンクブウォノ十世はその立退きについて、市民は十分 な補償を与えられて穏やかに立退きが進展することを期待していると述べている。