「ダイナミックなbanyak」(2019年04月30日)

ライター: 国語学者、ヌルアジ
ソース: 2000年7月10日付けコンパス紙 "Kata Banyak yang Dinamis"

国語育成開発センターが1999年に出版したKBBIの中にbanyakという語は、
(1) besar jumlahnya; tidak sedikit; (2) jumlah bilangan; (3) amat; sangat; 
lebih-lebihとその語義が記されている。そこに含まれている例文:
saudagar itu banyak uangnya dan banyak terima kasihからは、banyakの語が置かれ
る位置は名詞の語句(uangnya, terima kasih)の前になっている。

通常、banyakはもちろん、名詞を説明する用途に使われている。しかし最近、わが国の
マスメディアでは、その語は動詞を説明する使われ方が顕著になっており、その頻度も
高いものがある。そればかりか、多くの構文の中でbanyakの語義が変化している事例に
出会うことがある。こうなってくると、われわれはその現象をインドネシア語システム
の中で受け入れることができるだろうか?

ジャカルタで発行されている印刷メディアから得た文例を見てみようではないか。
Akhir-akhir ini saya banyak membaca buku sejarah.
名詞を説明するという慣例に即してそれを見るなら、banyakの語はmembacaでなくbuku 
sejarahにかからなければならないので、この文は文法的に不適切であるということに
なる。
次のようになれば、はじめて文法的に適正な文であると言える。Akhir-akhir ini saya 
membaca banyak buku sejarah.

ところが、修正された後者の文意は元の文意から大きく変化した。後者の文意は次のよう
に解釈することができる。Akhir-akhir ini saya membaca berbagai jenis buku sejarah. 
ところが筆者が元の文の中のbanyakの語に託した意味はサヤが読む本の多さではなく、本
を読むことの頻度の多さなのである。つまり元の文の中のbanyakの語はseringの同義語と
して使われているのだ。Akhir-akhir ini saya sering membaca buku sejarah.

banyakの語をbuku sejarahの前に移すよりも、banyakをseringに置き換えるほうがその文
の解釈はより適切なものになる。つまりbanyakはseringと置き換えるのが適切な解釈であ
り、文法的である名詞の修飾にその用法を変えることは筆者の意図から離れることになる。

別の例を見てみよう。
Kokain berasal dari olahan daun tanaman koka, yang banyak terdapat di Amerika 
Selatan. 
この文におけるbanyakは南米にある植物のコカがどれほどたくさんであるのかということ
を強調するために置かれたものだ。筆者はbanyakの語を名詞句tanaman kokaの説明する用
途で使っている。  

再度、慣例に即してこの文を見るなら、banyakが動詞terdapatの前に置かれているのは文法
的でないということになる。筆者はbanyakの対象がterdapat でなくtanaman kokaであるこ
とを意図しているのだから、その前の位置にbanyakが置かれるべきであると言うことができ
る。すると修正文はこうなる。

Kokain berasal dari olahan daun banyak tanaman koka yang terdapat di Amerika 
Selatan. 
banyakは本来、名詞を修飾するものだから、文法的に修正文は正しい。ところがこの文がも
たらす文意は不明瞭なものになってしまう。だったら最初の例文で使ったbanyakからsering
への置き換えを行ってみよう。だがそれも、元の例文がもたらす文意から外れたものになっ
てしまう。

Kokain berasal dari olahan daun tanaman koka, yang sering terdapat di Amerika 
Selatan. 
文意は一層、受け入れがたいものになる。であるなら、元の文のbanyakは位置を動かすこと
も、seringに置き換えることもできないことになる。


banyakという語の用法でしばしば目にするものの多くは、多くの筆者がbanyakの機能をど
の品詞にでも使えると誤解しているために起こっている不注意による混乱だ。

名詞の前にも動詞の前にも置くことができて、本来の語義とは別の意味を表すようになった
banyakという語のダイナミックな用法が示し始めた傾向は、話者がその語法を正しく理解し
適確に操れるかぎり、受け入れることのできるものだ。できるかぎり避けなければならない
のは、banyakの誤った用法である。