「地名と民族主義」(2019年05月02日)

民族主義という言葉を民族の主権と自治という意味で用いるとき、被支配者の視点がまと
わりついてくるのはどういうことなのだろうか?民族(あるいは一国家)の名における覇
権主義と異民族支配が支配民族にとっての民族主義であることには違いがあるまい。現に
今から百年余の昔、世界を覆っていたその種の民族主義に倣おうとした民族国家があって、
富国強兵を旗印にしてアジアに冠たる一大軍事国家を建設し、大〇〇帝国は大いに自己陶
酔の時代を謳歌したのではなかったろうか。

その時代の日本人にとってそれは民族主義の発露だったはずだ。その時代にはその種の民
族主義的スローガンが国民生活のあらゆるスペースを埋め尽くしていたようにわたしの歴
史知識は形成されているのだが、わたしのこの認識は間違っているだろうか?もし間違っ
ていないのであれば、それを強者民族主義と呼ぶことができるにちがいない。

強者民族主義の被害者になったものたちとそのシンパが叫んだ民族主義が弱者民族主義で
あり、平等という美徳理念を持ち込むことによって民族の主権と自治に対する不可侵とい
う観念が定着した。今では、強者民族主義の概念は日本語で別の言葉が用いられており、
それを民族主義と考える日本人はほとんどいなくなっているように見える。だが民族(言
い換えるなら〇〇国民・〇〇人)という概念を人類より上位に置く者はすべからく民族主
義者なのである。

「日本と日本人は正義の使徒である」といった民族セントリクスを抱え込んで森羅万象を
眺めようとする日本人はわたしの言う強者民族主義者だ。強者民族主義者は平等という美
徳理念を持たず、上下・優劣・尊卑・支配被支配を思考の中枢価値観とし、それをもって
自己存在とビヘイビアにおける善悪の基準にしている。されど実際には、弱者民族主義と
強者民族主義は紙一重なのである。


地名には、内名と外名を持つものがある。内名とは地場民族が伝統的な呼称として使って
いるものであり、外名は異民族が自分の文化の中で伝統的に使ってきた呼称、あるいはあ
る時代に外来語として取り込んだものだ。

たとえば日本人にとってのインド(中国単語「印度」の日本式読み方はインドIndo)はそ
れが外名であり、中国人にとってのインドはインドゥ(中国単語「印度」の北京語式読み
方はインドゥYindu)が外名であり、英米人にとってはインディアIndiaで、オランダ人に
とってはインディエIndieで、フランス人はアンドゥInde、等々となる。

ところがインドという言葉自体はペルシャ人がインダス川地域を呼んだヘンドゥがインド
ゥという音で中国に伝わり、それが世界中に拡散した結果が現状なのだそうだ。現代イン
ド人にとって自国の内名はバラッBharatであって、Hindiという単語は言語を指して使わ
れている。

そのように、たとえ同じ場所を示していても、それぞれの民族が歴史の中に作り上げてき
た伝統文化の色合いが濃くその名称に投影されており、外名にせよ内名にせよ、その言葉
はその民族が持つ文化の一部を成している。


文化というものは民族の主権と自治の中に含まれて、その一部分を形成しているものだ。
不可侵理念が国際的に合意されているというのに、「あなたの民族が使っている内名は蔑
称だから、あるいは圧迫名称だから、使うのをやめろ。」という要求を出すのは強者民族
主義のなせるわざであり、その民族の腹の底が見透かされる。

反対に「あなたの民族が使っている外名を地場本来の内名に変えろ」というのもナンセン
スであるし、よしんば、国際慣行として使われている地名(たいていは英語に由来してい
ると思われる)をわが国の内名に変えてもらいたいという要求がある民族から出されたと
しても、文化というものを踏まえてその問題を見る限り、視野狭窄の跳ねっ返り的なたわ
ごとにしか常識人の目には映らないようにわたしには思えるのだが、わたしは常識人とい
うものを買いかぶっているのだろうか?