「ヒッピー狩り(後)」(2019年05月03日) そもそもムスリムがヒンドゥ社会にやってきて時を過ごそうとするとき、食事が重要な問 題になる。エキゾチックなバリ島旅行はそれでいいのだが、ムスリムが安心して食事でき るところがその頃はあまりなかった。わざわざ楽しみにやってきたというのに、「バリに は食べられるものがない。」と言って早くジャカルタに戻りたがっているムスリムにわた しは会っている。 ともあれ、年中ピーピー言っているインドネシア人ヒッピーがバリに来る機会はあまりな かっただろうから、バリ島のヒッピー問題は白人ヒッピーがその主役だったということの ようだ。 しかしジャカルタやバンドンのインドネシア人ヒッピーたちはそれぞれの場所で催しを行 い、一時代を画していた。バンドンではダゴ地区にヒッピーの集まる本部ができ、時代の 流れに加わってヒッピー族の前衛を務めたい者たちは長髪を命じられ、またできるだけ多 くの女性をかどわかしてでも仲間に加えろという指導層の命令に服して、おかしなことを あれこれ行ったようだ。 スクエアな親たちは息子の豹変を許すはずもない。親子喧嘩が巻き起こり、息子は勘当と いうような社会問題も起こって来たから、市行政もヒッピーを不良階層として敵視するよ うになる。街中を歩いている長髪の青年が役人に追われて、捕まって長髪を切られるとい うことまで起った。 70年代に流行ったブタウィ古謡Kicir-kicirは歌詞を時代の風俗に合わせて付け加えたも のがあり、今思い返すとあの時代がよみがえってきて大変懐かしい。 当時わたしの聞き惚れた歌はユーチューブの中で見つけ出すことができず、別の歌手の同 じ歌詞を見つけて拾ったのがこれだ。 Burung dara terbang melayang Cenderawasih ya tuan, burung Irian Saya heran anak-anak jaman sekarang Kecil-kecil widih, pintar pacaran Kalau tuan jalan-jalan ke Semarang Paling enak ya tuan, kue putunya Saya heran anak muda jaman sekarang Rambut panjang widih, banyak kutunya まだまだ続くのだが、これを見るかぎり、長髪族の頭は寄生虫の培養器になっていたよう だ。[ 完 ]