「究極は女の本源への回帰?(終)」(2019年05月17日) 質問4.主婦専業女性は勤労女性より偉いと思うか? 同じ 53.0% 偉い 37.6% 劣る 8.6% 出産を機に退職して育児に専念する女性、子供が物心つきはじめたのを機に子育てに専念 する女性といった例は首都圏で枚挙にいとまがない。キャリアの階段を上っていける女性 は、勤労女性の中ではまだまだマイノリティであるにちがいあるまい。そんな女性ですら、 キャリアか家庭かの選択に迷う時期を持つひとも少なくないように思われる。 ひとりひとりが自分の生活環境の中にあるユニークな諸要因の中で自分の生きる道を考え ているはずだが、最終的に母として生きることを選択するまだ若い女性たちは膨大な数に 上っているように見える。かの女たちがそれを選択するのは、インドネシア社会にいまだ に強い「女は母になることで価値ある存在になるのだ」という観念のゆえではあるまいか。 そこにある価値は、男が成り代わって担うことの絶対にできないものだ。 それが女性の本源的な資質であり機能であるのは言わずもがなのことだ。そうであるから こそ、主婦として母として、家の中を治めて一生を送れと言うのは暴戻としか思えない。 男も女も人間であり、人間は個人として自分の人生をどのように作り上げて行くのかとい う自由と責任を自己の主権の中に持っているはずだ。 インドネシアがどれほどの父権主義社会であろうとも、その社会の中で生まれ育っていな い外国人には観念的な想定概念を弄ぶことしかできず、抑圧された女性の話をエレジーと してしか聞いていないように思われる。インドネシアの女性たちは「もし生まれかわるこ とが可能なら、今度は男に生まれたいか?」というわたしの質問に否を表明しているのだ。 これほどまでの男優女劣社会で、まるで同じ人類という扱いをされていないというのに? インドネシアの女性たちは自分の置かれた環境の中で、自分を拘束するさまざまな鎖や世 にある偏見やしがらみの中で、自分自身の未来を見つめながらしなやかに、しかししたた かに生きていると今のわたしは考えている。[ 完 ]