「プルンプアン(終)」(2019年05月31日)

empuにber-を付ける用法が見当たらないのであれば、われわれはパラダイムを一旦かな
ぐり捨てて、empuanを自動詞化もしくは形容詞化するber-の用法に視点を移してみるの
がよいかもしれない。

インターネットでberempuanを調べたところ、perempuanによく似た意味で使われてい
ることを発見したが、その語義を説明しているものが見つからないため、確言するのは
困難だ。だとしても、どうやらこの現象のベースにはber-とper-の混用が存在している
ように思われる。

もうひとつ踏み込んで、empuanの短縮形puanにber-を付けて調べたところ、berpuanは
「妻を持つ」という意味で現実に使われていることが判明した。puanはKBBIに、
empuan, perempuan, nyonyaという語義で掲載されている。


empuの同義語であるibuやtuanをber-のパラダイムで検証してみると、こうなった。
E.beribu - peribu - peribuan
beribu =母を持つ、母とする、母と呼ぶ
peribu = beribuの行為者としての意味では存在しない
peribuan = 母になることに関連することがら

F.bertuan - pertuan - pertuanan
bertuan = 主人/所有者がある
pertuan  = bertuanの行為者の意味では存在しない
pertuanan = 貴族の地位、支配、統治、主権


このロジックをもう一度D.にあてはめて見るなら、
D.berempu-perempu-perempuan
berempu = 所有者
perempu = berempuの行為者の意味では存在しない  
perempuan = 所有者に関連する抽象名詞
という図式ができあがる。

上記D.の項の前半で一度たどり着いたものと同じ結果にここでもたどり着いたことに
なる。たとえbertuanがご主人様を持っている状態を指したとしても、pertuananはその
意味上の流れに乗っていないものなのである。仮にberempuが所有者を持っている状態を
意味したとしても、perempuanは所有者を持っていることについての抽象化ではない、と
いうのがここで検証された結論だと言えるにちがいない。[ 完 ]