「勝手にわたしを含めるな(後)」(2019年06月07日) 理論的には、#BelaRakyatや#BelaAgamaなどのハッシュタグを担いでいる集団は、大別して distortion, deletion, generalizationという三要素を持つ大衆心理フィルターメカニズ ムを利用している。その三要素は脳の中に溢れかえる生情報データの洪水をコントロール して自己統制を維持するための人間の本質的作用なのだ。 ところがそれは単なる自律メカニズムでしかないために、歪んだ使い方が可能になる。そ のとき、その認識フィルターは、特に政治利益をはかるための、大衆操作の手段に使われ ることになる。 distortionとは現実の実態から外れた恣意的な意義を与えることで、デマやホウクスがこ のフィルターの具体例だ。そこではひとつの事件がまったく異なる意味を与えられ、もっ と誇大なものに仕立てられるために、われわれのヒューマニズム上の感性に影響を及ぼす ことになる。その例は「警察はイスラム教徒に銃撃を加えた」という文だ。事実は、暴動 集団の扇動者と見られる数人を警察がゴム弾で撃ったというだけのことであり、撃たれた 人間がイスラム教徒だったのかどうかなどという斟酌はそこに働いていない。 deletionという次のフィルターは、ある事件が持っている複数のアスペクトの一部を故意 に伏せてしまい、抽出された特別なアスペクトだけに頭と心を向けさせようとするメカニ ズムだ。暴動の際の上述の例に付け加えるなら、「警察はイスラム教徒に銃撃を加えた」 という表現からは、撃たれた人間がアナーキーな破壊行動を行っていたというアスペクト が脱落している。 最後のgeneralizationは、大きい概念に含まれている構成集団のひとつが、自分たちの身 に起こったできごとに関して、大きい概念構成者の全体に向けられたできごとだという普 遍化を行う手法である。#BelaRakyatや#BelaAgamaは一蓮托生感情をかきたて、起こっ たできごとを誇張するために使われている。 ハッシュタグ#TidakAtasNamaSayaはそれら三つの心理フィルターモデルに反抗するものだ。 それは人民主権や宗教擁護の運動に関する表明を、distortion, deletion, generalization のない実態に向けて突き戻した。特定アジェンダを支持する集団が全民衆にとってのアジ ェンダを代表しているわけではない。同時に、インドネシアのすべての宗教の徒をかれら が代表しているわけでもないのである。 ここ数日、イスラム社会が虐待され、欺かれ、踏みにじられているというスピーチに反対 する強い口調のメッセージがインドネシアのイスラムに関連してソスメドに増加している のは民衆の健全性を反映するものだ。 平等的情報技術の断絶期において、コンセプトやナレーションの衝突は避けられない。ハ ッシュタグ#TidakAtasNamaSayaのマス的膨張は、これまでサイレントマジョリティだっ た階層が肩を組んで、狭く偏った思想表明の賛同者に一方的に含められていたことに反対 し抗議するためのチャンネルを見出したことを示している。 インドネシアのイスラムは良好な状況にあるということも、このハッシュタグ下のメッセ ージが示している。わたしはグス・ドゥルの昔の文章を思い出した。「現在イスラムの名 を汚す者がいるのなら、われわれはその者が平和なイスラムの名を掲げるように教育して やるだけのことだ。そんなことくらいで、大騒ぎかね」。[ 完 ]