「スラウェシ島のリトルバリ(前)」(2019年07月11日)

北スラウェシ州ボラアンモゴンドウBolaang Mongondow県にバリがある。マナドからトラ
ンススラウェシ街道を220キロ下って来たイボリアン市場Pasar Ibolianから3百メー
トルほど離れたところにあるウルディアグンWerdhi Agung村はバリ人の村だ。

1963年3月17日のバリ島アグン山大噴火は、608人が死亡し1万数千人が避難す
る大規模災害となった。大勢の避難民が出たことに対してボラアンモゴンドウ県令は、県
内ドゥモガ渓谷を開拓して居住地域を設けることを計画し、バリの避難民にトランスミグ
ラシを呼びかけた。カランガアスム、ブレレン、バドゥン、バンリ四県の531世帯1,
352人がその申し出に応じた。

移住したひとびとは手に手に鍬・スコップ・鋸などを持って渓谷を切り開き、そこを農地
と農園に変えた。稲・ナツメッグ・クローブ・カカオ・ヤシ・サラッなどがすくすくと成
育した。牛や豚の飼育も行われた。

村の入り口に作られた大門から2百メートルほど先には大きなブラーマの像が立ち、周囲
にある家々はバリ文化の香りをたっぷりと漂わせている。どの家にも祖霊と家神を祀るサ
ンガが立ち、家の囲いにはヒンドゥのスワスティカが飾られ、バリ独特の木彫石彫のオー
ナメントが外来者の目を引き付ける。


2019年5月のある木曜日、真昼の村の中はとても静かだ。学校から帰って来た小中学
生たちがバリ語でふざけ合っている声が聞こえるばかり。おとなの村民はほとんどが、村
の周辺にある農地農園の世話をしに出掛けているのだ。バリ人にとって、勤勉の美徳は他
の文明社会とちがわない。

半世紀に渡る移住者たちの勤労は目に見える成果を生み出した。村のどの家もが広い庭を
持ち、頑丈なセメントと石造りの家屋にバリ文化の香りを満喫させるオーナメントを飾っ
ていて、貧窮の陰はさらさら見当たらない。

人口が増加して今や5千人に上っているこのバリ人共同体は、2006年に南ウルディア
グン村が分割され、2011年には更に東ウルディアグン村と北ウルディアグン村が分離
した。

このバリ人共同体では、1963年に移住が開始されて以来、バリ島で行われてきた文化
慣習がすべて、そのまま維持されている。最大の祭りはニュピ前夜のオゴオゴであり、村
で最大のヒンドゥ寺院プラプセPura Pusehの広場で行われるオゴオゴの祭には近隣の他
村からも見物人がたくさん集まって来る。[ 続く ]