「西洋人のインドネシア語」(2019年07月18日)

マラン国立大学Eサットノ教授は米国留学体験や国際機関との諸関係から西洋人との接触が
多く、インドネシア語を教えたり、あるいは仕事での接触などから得た体験の中で見聞した
面白いインドネシア語表現を多々書いている。そのいくつかを記事のネタに使わせていただ
くことにする。

ー1.ある日、西洋人が豚肉を買いに肉屋を訪れた。値段を尋ねると、肉屋のおやじが紙に
書いてくれた。ところが「pop cop」「pop loin」「sperip」という文字と横に数字が書か
れているのを見て西洋人は首をひねった。こりゃなんのこっちゃ?

紙とおやじの顔を見比べているうちに「アッ」と思い当たった。インドネシア語の/co/は
「チョ」なんだ。「そうか。ポークチョップ、ポークロイン、スペアリブだったんだ。」


ー2.インドネシア語の語彙は音が似ているものが多く、西洋人には識別しにくいものが
いくつかある。

「kunci : kelinci」「kencing : kancing」「jendela : celana」「kelapa : kepala」
「rambut : rumput」「kembang : kambing」

西洋人にkelinciをディクテさせると、khelinchiと書いた。
「Di mana itu khelinchi mobil?」と大の大人が尋ねるのである。

Apa di sini ada tempat khanching? Saya mau khanching. 
やってきた西洋人の意図をすぐに理解できるインドネシア人は少ないだろう。

Chalanamu kothor sekali! Saya thidak daphat melihat dalamnya! 
とニョニャに言われた男性使用人は真っ赤になってうつむいたか、それともニタニタ笑
ったか?

Saya mau minum es kephala muda. だがkepalaを正しく理解しているひともある。
Suami saya thidak phunya rumphut di kephalanya. とご婦人のひとりは語ったが、
rumputは他の場所に生えているのであるまいか?

Silakan taruh khambing ithu di atas meja thamu. 
ニョニャがそれをカバと言おうが象と言おうが、言われたインドネシア人が間違えるこ
とはあるまい。

日本人にとってはクンチとクンチンとクチンが三つ巴で混乱するらしく、そんな話がネッ
ト上に出現する。その昔、日本人上司がインドネシア人女子社員に対して、終業後「ちゃ
んとオシッコをしてから帰宅しなさい。」と毎日言っているという話を読んだことを思い
出した。