「アセアン事務局」(2019年07月22日)

東南アジア諸国連合略称ASEANが誕生したのは1967年8月のことで、インドネシ
ア・マレーシア・フィリピン・シンガポール・タイの五カ国で発足した。

インドネシアで1965年に起こった騒乱の後、それを鎮めた立役者が1967年3月に
首班となって暫定政府を樹立し、1968年3月に正式の第二代大統領に就任したわけだ
が、アセアンの誕生はインドネシア国内の政変と密接なかかわりを持っていたことが、そ
の流れから推測される。

インドネシアの初代政権が取って来た方針をがらりと変えた二代目政権が中心部に位置し
て作り上げたこのアセアンを、だれがメンバーになり、だれがそれを相手にしなかったの
か、という視点から見る限り、当時の世界を覆っていた国際構造とそこにおけるアセアン
の位置付けが明瞭に浮かび上がって来るのではあるまいか。

その後アセアンに加盟した東南アジアの国は、ブルネイが1984年、ベトナム1995
年、ラオス1997年、ミャンマー1997年、カンボジャ1999年で、今はティモー
ルレステを除く全域がアセアンになっている。


それまで固定したオフィスを持たなかったアセアン事務局がジャカルタに設けられること
になった。1976年のバリにおけるアセアン首脳会議での決議だ。インドネシア政府は
そのための用地を南ジャカルタ市クバヨランバルのシシガマガラジャSisingamangaraja通
り73番地に用意し、建物の建設を開始した。

その場所はブロッケムBlok M北側の国家警察脇を通るトルノジョヨTrunojoyo通りとシシ
ガマガラジャ通りの交差点北東角地で、およそ2Haの面積を持つ。

住所はあっても固定事務所を持たないアセアン事務局は1976年6月7日に公式稼働を
開始したのである。初代事務局長にはダルソノ氏が指名されたが、オフィスが出来上がる
までかれはインドネシア共和国外務省本庁で執務した。

建設予算として28億ルピアが計上されたものの、1978年11月15日に政府がルピ
ア切り下げを行ったために予算額は60億ルピアに膨れ上がってしまった。資金がなかな
か降りて来ず、建設工事は捗らない。最終的に工事が完成してスハルト大統領出席のもと
にオープニング式典が行われたのは1981年5月9日のことだった。

このアセアン事務局ビルでは、アセアンに関連したフェスティバルやバザーがしばしば行
われており、わたしもそのような機会に何度かこのビル敷地内を訪れたことがある。

2018年からこの敷地内の一角で新しいビルの建設工事が進められてきた。工事は完了
して高さ16階のツインタワーと、空中で両タワーを結ぶ40.5メートルのスカイブリ
ッジが、オープニング式典を今や遅しと待ちわびているところだ。