「歴史から学ぶ」(2019年08月12日)

ライター: バリ在住文化人、芸術オブザーバー、ジャン・クトー
ソース: 2019年7月14日付けコンパス紙 "Belajar dari Sejarah"

今わたしは、1517年から1924年までカリフが存在していたイスタンブールにいる。

ここからほど近い場所にラディノ人のシナゴーグがある。ラディノ人とは何者か?かれら
は何百年もの間、今やトルコ共和国となったこの地でかつて、スルタンの庇護下に平和と
安寧の中で暮らしてきたユダヤ人である。

ユダヤ。現代インドネシアでは特別の意味が込められた言葉だ。いくつかの調査によれば、
この愛すべき国で最も憎悪されているもののひとつがユダヤ人である。あたかも共産主義
者のように。ところがヌサンタラの歴史を覗き込んで見れば、先祖伝来の仇敵と見られて
いるユダヤ人とインドネシア人の間に、クロアチア・ギリシャ・トルコのような関係、あ
るいはインドとパキスタンのような関係など一度も起こったことがない事実を目にするこ
とになる。それどころかインドネシア人は、オランダ人や日本人に対してすら憎悪を骨髄
にまで滲み込ませた反応を見せることは稀だ。

いったい何が起こったのか?歴史である。歴史は既に世界のものとなり、救いのないもの
と化した。歴史が病むとき、聖なる書物さえ病んだ目がそれを読むことになるのは疑いが
ない。その結果は凄まじいものになる。現在、聖なる書物の解釈を基盤にして作られた国
がひとつある。「ありえない」だって?いや、わたしはマジですぞ。イスラエルがそれだ。

150年前からオーソドックス派ユダヤ教徒は、かれらの神ヤーウェが約束した地がそこ
だとしてパレスチナを占有することが正しいと思い始めた。だからこそ、それが正当で合
法となる。それ以上にまっとうな法的根拠など探しようがない、だろう?ナポレオンの血
を引くオランダ人の法典すら、真っ青だ。

しかしあなたは、バックファイヤーを意味するsenjata makan tuanという格言を知ってい
るにちがいない。かれらオーソドックス派ユダヤ人は今その逆襲に遭っている。行き過ぎ
たのだ。イスラエルを建国したことで、かれらは聖なる書物の名において憎悪を浴びるこ
とになった。別の書物?別の引用?しかし法的根拠は同一のもの、「絶対性」だ。なんと
難しいことか。

こうして百年以上、いくつかの文章に対する誤った解釈のゆえに、世界は振り回されて涙
を流すことになった。世の終末が近付いて来れば、そんなことになるのだ、と賢人たちは
言う。

ユダヤ人と、歴史の中でかれらにつきまとって来た悲劇性に目を移してみるなら、かれら
の宿命がそうだったと言うこともできない。イスタンブールのラディノ人がその証明を提
示している。かれらはただの、ありきたりのユダヤ人ではないのだから。

ラディノという言葉は、北部や西部ヨーロッパでなくスペインに関係していることを示し
ている。かれらが使う言語は15世紀にスペインで使われていた言語に由来している。数
千人いるかれらは、8〜15世紀に大きな繁栄を築いたアンダルシアの栄光を打ち立てた
ひとびとの歴史の残光の一部分なのだ。

1492年にフェルディナンドがグラナダを滅ぼしてスペインの再統一を果たしてから、
かれらはスペインから追放された。どこへ逃れたのか?一部は海峡を越えてモロッコへ。
一方、多くのひとびとはオスマントルコの庇護を求めた。トルコでオスマン朝のカリフは
自領に住むようになったラディノ人を5百年という栄華の歳月に、聖なる書物の名におい
て敵視し、殺さねばならない者として扱っただろうか?

否!イエスの殺害者としてかれらを追い払ったスペイン王の過ちを、カリフは理解してい
たのだ。ラディノ人はイスタンブールのガラタ地区で庇護された。スルタンが行う西欧諸
国との交易をラディノ人はその地で仲介し、スルタンを補佐した。かれらの働きによって、
現在われわれが日々親しんでいるカッワ、つまりコーヒーを愉しむ習慣が作られたのであ
る。役に立つだろう?

われわれは、歴史の真の姿を学ぶために、大きく目を見開いて歴史を学ぼうではないか。
そして、聖なる書物をその目で読むことも忘れずに。