「ジャカルタでアイススケート」(2019年08月16日) 東南アジアではじめてのアイススケートリングが1972年8月6日に都内スナヤンのス ポーツコンプレックス内に誕生した。当時のアジアでは、アイススケートリングのある国 は日本・韓国・台湾の三つだけだったので、インドネシアはアジアで第四番目の国になっ たということらしい。 アイススケートセンターと命名され、2億ルピアの工費と3カ月の工期をかけて作られた 完全冷房の施設内には25mx40mのリングがあり、施設内の気温は10℃に保たれて いた。連日数百人の都民がアイススケートなるものを実体験してみようとやってきて、入 場券窓口に列をなした。 昼間の入場料はひとり100ルピア、夜の入場料はひとり200ルピアだが、リングに降 りる場合はひとり1時間当たり別の料金がかかり、昼間は250ルピア、夜は300ルピ アで、スケート靴のレンタルは一回100ルピアかかった。 珍しく且新しいものの好きなブタウィっ子にこのアイススケートは大いに受けたらしく、 オープンしてから三カ月後には一日平均入場客が7百人から1千人に増加したとのことだ。 このスナヤンに設けたアイススケートリングの運営者は、初心者ばかりのインドネシア人 にスケートの手ほどきをするため、日本のフィギュアスケート界の名選手である長久保裕 氏と長沢琴枝氏を招いてコーチングを行なうという手際の良さを示し、更にその年の12 月24日には「クリスマスオンアイス」催事を開催して、トリニダードトバゴの歌手デニ ス・ピケット氏とエレクトリカバンドの伴奏で会場を大いに賑わせた。 大晦日には二匹目のどぜうを狙って徹夜の催事が催され、これも大いに繁盛したという話 だ。 スナヤンのアイススケートセンターがいつ姿を消したのか、情報を探してみたがよくわか らない。わたしの個人的な体験では、わたしがはじめてジャカルタにやってきたのが19 72年9月のことで、数カ月後にインドネシア人の同僚たちに誘われてスナヤン方面に繰 り出したとき、夜中に大いに賑わっているこのアイススケートセンターを目にしたことは 覚えている。入って遊ぼうと誘われたものの、スポーツ音痴のわたしはそれを固辞して夜 のジャカルタ見物ドライブに回った。 アイススケートセンターが姿を消してから何十年もの歳月が流れて、1996年にモール タマンアングレッMall Taman Anggrekがオープンした。このモールの3階に総面積1,2 48平米のアイススケート場が作られており、アイススケート愛好者を引き寄せている。 今では更に別のモールにもアイススケート場が設けられているようだから、やはりジャカ ルタは「何でもあり」の街なのである。