「スンバ島のカースト制度(後)」(2019年08月23日)

スンバ島は今でもカースト社会だという話は現地のひとびとの間から時折出てくるのだが、
外来者が一瞥する限り、そのような身分の違いは民衆の社会生活の中でまず見られない。

一見だれもが平等な基本的権利を与えられているように見えるこの社会に、ご主人様に仕
える奴婢下僕だった家系は今日に至ってもいまだに独立した自由を享受できない暮らしを
営んでいるというのである。

奴婢下僕の家の子供はどんなに頭脳優秀であろうとも、まず大学へ行くことはありえない、
という話もある。大学卒というのは社会ステータスであり、奴婢下僕がご主人様よりも高
い社会ステータスを持つようなことは、考えるだけでも主従関係に泥を塗る行為だと世間
は見る。ご主人様に禁止される前に、奴婢下僕は自分の身分をわきまえることを優先する
のだ。

奴婢下僕の制度はスンバ島でアタataと呼ばれる。スンバ島東部では、奴婢下僕の家系は
畑に住み、農耕で得られた産物をご主人様の家に奉納する。ご主人様の家が奴婢下僕に呼
集をかけると、それがいつであれ、かれらはご主人様の家に駆け参じるのである。

その主従関係は一世代だけのものでなく、何度世代交代を繰り返そうが、同じ関係が引き
継がれていく。もし奴婢下僕の家の者が故郷を捨て、スンバ島の外に移住して行った場合
に限って、主従関係が消滅する。


今では、ご主人様が没すると奴婢下僕はその遺体に付き添い、ご主人様の霊魂が冥界に旅
立っていくのを見守る役目を仰せつかる。その役目に就く者はパパンガンpapanggangと呼
ばれ、特別の衣服を着て遺体の傍らにただじっと座るのである。

スンバ島の王族貴族の葬式はまた違っている。巨石時代を思わせる大きな石をその墓所に
引っ張ってきて、墓を作るのだ。大勢の領民を使って行われるルティretiと呼ばれるこの
行事は巨額の出費がかかり、また長い日数を必要とする。スンバ島のあちらこちらに見ら
れる巨大な石墓は決して巨石時代の遺物ではないのである。

そのようなスンバ島のカースト制度がいつから始まっていたのかについて、この発掘調査
が答えを出した。ふたつの埋葬形式が物語っているカーストの存在は、少なくとも2千年
から3千5百年前に既に見られたということなのである。

ちなみにスンバ島の住民に対する遺伝子調査で、かれらの系統が明らかにされている。ま
ず一番古いのはパプア島から1万2千年前に渡ってきたオーストラロメラネシア人だ。そ
れからだいぶ下った4千年前に台湾からオーストロネシア語族が移住してきた。続いてあ
まり間のあかない4千年前の時期に、中国からオーストロアジア人がやってきた。その三
つの波が次第に混じりあって現在のスンバ島民ができあがっている。[ 完 ]