「ルピアコインの悲哀(終)」(2019年10月02日)

1997年アジア通貨危機の怒涛の嵐の中で大きく揺れ動き始めたルピア通貨の価値の暴
落を象徴するようなニュースが98年前半ごろから聞こえて来るようになった。特定種の
コインをその額面より高い値段で買い集めている人間がいるというニュースだ。

コインが持っている額面価値よりも、それを鋳つぶして金属素材に変えたほうがより高い
価値を持つようになる、という解説が添えられて出回った情報であり、そんな事実があっ
た可能性は大いにあるとわたしは睨んでいたのだが、そんな常識論を上回る背景がもうひ
とつ別の所にあったのを知って、わたしは驚いた。


ルピア通貨の激しい価値低下をヘッジすることを目的にして、インドネシア人は貴金属を
所有する慣習を昔から築いてきた。インドネシア女性が宝石貴金属を身に着けるのは、本
人の社会的価値の高揚であると同時に、もしもの場合の経済基盤を何がしかなりとも確保
する態勢を持つという一石二鳥の策だ。

そして、いよいよルピアの大暴落が起こったのである。ルピアの価値と反比例して毎日大
きく値上がりしていく黄金価格を目の当たりにし、今ぞそのとき、とひとびとは思ったに
ちがいない。手持ちの宝石貴金属をかれらは続々と売り払い始めた。ところが宝石貴金属
を身にまとうという本人の社会的な価値の高揚ができなくなっても困るのである。こうし
てイミテーション需要が勃興し始めた。


中部ジャワや東ジャワの都市部近郊で、1991年発行の100ルピアコインと500ル
ピアコインを1千5百から2千5百ルピアで買い集めている者があるという噂がジャワ島
一円に広まりはじめ、メディアも取り上げる話題になった。

どんな些細なものごとに対しても、可及的速やかに得をすることを求めるインドネシア人
がそのチャンスを見捨て聞き捨てにするはずがない。一般庶民は血眼になって1991年
発行の100ルピアコインと500ルピアコインを探しまわりはじめた。

真鍮を主素材とする1991年発行の100ルピアコインと500ルピアコインはその見
かけに由来する印象のために、黄金を含有しているという噂が一般庶民の間でそれ以前か
らささやかれていた。何年も経過しているというのに、磨けば黄金色の輝きがまたきらめ
くのだから。

しかし冷静に考えて見ればよい。通貨当局が発行時点で額面金額よりも大きなコストをそ
こに注ぎ込むはずがないではないか。ところが迷信に傾く庶民には、夢をもたらす黄金譚
のほうが恰好の情報であったにちがいあるまい。

中銀の解説によれば、そのコインの輝きはブラウン酸化アルミによるもので、黄金はまっ
たく含まれていない、というのが真実だったようだが、ともあれ、黄金のように見えるの
なら、イミテーション素材にもってこいではないか。


インドネシア人は昔から、コインで装身具のひとつである指輪を作るということを行って
来た。職人がおり、需要があり、物が作られ、需要と供給のサイクルが回転する。職人の
間では、1991年製コインは硬いので、鋳溶かして指輪にするのに向いている、という
評判が立っていた。そこにきて、黄金の輝きが時勢のイミテーション需要を掻き立てると
いうメカニズムが生じたらしい。

500ルピアコインで指輪を作ることが下層庶民に至るまで大流行した時期には、客が差
し出すコインを素材にして、その場でそれを指輪に作り上げる職人が町内町内を巡って商
売していたという話だ。

その工賃は一個当たり5千ルピア。客が素材を持たずに一切を職人側に頼る、要するに製
品買いの場合は指輪一個が6〜7千ルピアになった。しかしそれも人と場所による。一物
一価のいまだに確立されないインドネシア社会なのだから、製品が1万ルピア程度になっ
たことがあっても、決しておかしくはない。

つまり5百ルピアコインの末端調達現場で一個2千5百ルピアの値をつけても流通機構の
中で十分に成り立つ範疇にあったということなのだろう。だがいかんせん、1998年7
月にメディアに流れたルポ記事にはスマラン県ブンダン郡のコイン指輪制作職人とのイン
タビューとして、その職人は今でも週に2〜3個、1991年発行500ルピアコインで
指輪を作っているが、以前はその何倍もあったと述べたことを記している。つまりそのイ
ンタビューが行われたころにはそれら特定種のコインが市中から大量に姿を消したしまっ
たということのようだ。これもルピアコイン悲話のひとつに間違いあるまい。[ 完 ]