「冒険者の使う冒険という語」(2019年10月02日)

ライター: 出版社編集者、パムスッ・エネステ
ソース: 2008年7月25日付けコンパス紙 "Kenapa Berpetualang?"

近年、印刷メディア界で人気を増している単語がある。残念ながら、その単語は語形に間
違いがある。わたしが指摘しているのはberpetualangという単語だ。

berpetualangという形態は本来的な形態であるbertualangを押しのけてしまった。「そり
ゃおかしい」だって?「プロフェッサー」グーグルによる2008年7月15日の調査に
よれば、berpetualangは24万8千サイトを数えた一方、bertualangは6万6百サイトに
しか登場しなかった。

奇妙なことに、berpetualangは教育レベルの低いひとばかりが使っているのでなく、教養
の高いひとまでもがその波に呑まれてしまっているのだ。2005年12月2日付けコン
パス紙のBerpetualang untuk Berpromosiという記事タイトル、あるいは2008年7月
12日付け同紙の次の文章。
Di sana, anak-anak bisa diajak berpetualang di alam terbuka sambil belajar ber-
cocok tanam dan kegiatan lain yang sulit dilakukan di daerah perkotaan.

Matabaca誌2005年12月号の次の文章。
Suatu kali, saya bisa ikut Harry Potter berpetualang dengan bubuk floo, melawan 
sihir Voldemort ....

驚いてはいけない。最後の文章は博士号を持つ人物が書いたものだ。もしわれわれがber-
petualangの意味を上の筆者たちに尋ねたならば、かれら自身がきっと困惑してしまうに
ちがいあるまい。どうしてか?

国語センターのKBBIの中にberpetualangは掲載されていない。バドゥドゥ=ザインの
KUBIにも、エコ・エンダルモコのインドネシア語シソーラスにも、それを見出すこと
はできないのである。

辞書に掲載されているのはtualangを語根にするbertualangなのである。KBBI第三版で
はbertualangの語義を、mengembara ke mana-mana, selalu pergi ke mana-manaと述べて
いる。tualang自身の語義はbeterbangan tidak keruan, tidak tentu tempat tinggalnya 
(berkeliaran)となっている。petualangはbertualangするひとのことを意味している。

bertualangという語形の形成プロセスはberdagangやberjuangと同じだ。つまりdagangや
juangという語根に接頭辞ber-の付けられたものだ。そしてberdagangする人間がpedagang、
berjuangする人間がpejuangという形を採る。われわれはまずberpedagangやberpejuangと
いった形に触れたことがない。世に出現しているのはberpetualangだけであり、しかも出
現頻度がきわめて高いことは、上にあげた「プロフェッサー」グーグル調査が示す通りで
ある。

どうしてberpetualangという語形が出現したのだろうか?わたしが推測するところでは、
ふたつの可能性がある。ひとつは単なる無知。berpetualangという語形が原理に即してい
ないことを理解できないひとびとが使い続けていること。もうひとつは、その語形の形成
プロセスをberpedomanやberpengaruhに類したものと誤解した可能性だ。しかしそれらの
語根はpedomanとpengaruhなのであり、語根に接頭辞ber-が付けられた形であることを忘
れてはならない。

berpetualangはそれらとは違う。語根はtualangであってpetualangではないのだ。
petualangは語根tualangに接頭辞pe-の付けられたものであり、pedomanやpengaruhとは違
うのである。

わたしの主張は、berpetualangという用法を今すぐにでもやめるべきだ。その不整合な語
形を使ってbertualangするようなことは、即刻やめるべきなのである。