「媚びた名称はやめてくれ」(2019年10月08日)

2019年7月29日付けコンパス紙への投書"Little Netherlands"から
拝啓、編集部殿。スマラン旧市街がリトルネザーランドという呼び名を与えられたことに
関するテレビ報道を、わたしは2019年6月29日に見ました。

その昔、RAカルティニが少女時代を送ったジュパラの海岸がklein Scheveningen(小ス
ヘーヴェニンゲン)と呼ばれたのは、もちろんジュパラ海岸のほうが小さかったからです。

リトルネザーランドとは、いったい何がオランダもどきなのでしょう?気候が違うのは言
うまでもありません。オランダには暖房装置が必要ですが、インドネシアは違います。オ
ランダには風車があって、インドネシアにはありません。オランダにはチューリップが咲
き、インドネシアには蘭・バラ・ジャスミン・イランイラン・フランジパニが咲きます。
ちゃんと植えてきちんと育てるなら、ほんとうに素晴らしいものになります。リトルネザ
ーランドなどという名前を付ける必要はないのです。

わたしはオランダ植民地時代を体験した世代のひとりです。あのころのスマラン旧市街に
はファンドルプ書店がありました。オランダの商事会社オフィスもありました。それらは
インドネシアを支配するための歯車でした。

独立してからそれらのビルは使われなくなり、最近になって再活性化がはかられて文化保
存地区にされ、美しくお色直しがなされました。わたしはその行動をすばらしいものと評
価していますが、リトルネザーランドという名称はいただけません。1600年から19
42年までのオランダ植民地時代を思うと、悲痛な感情に襲われます。

あちこちの都市に残された古い建物群のどれひとつとして、ネザーランドなどという名称
を付けていないではありませんか。
[ 南タングラン市在住、ティティ・スプラティグニョ ]