「オランダ人英雄はイ_ア人にとっての極悪人(後)」(2019年10月15日)

クーンの死については、日付ばかりか死に方まで諸説あって、はっきりしない。オランダ
の記録は死因をコレラとしており、遺体は最初にバタヴィア市庁舎Studhuisに埋められ、
後になって旧オランダ教会Oude Hollandse Kerkに移されて、そこには壮麗な墓碑まで作ら
れた。ところが旧オランダ教会が改装されて新オランダ教会Nieuwe Hollandse Kerkになり、
更にはダンデルス総督のバタヴィア城市内総放棄方針によって新オランダ教会も取り壊さ
れ、教会墓地に埋められてあった高官たちの遺体は親族や関係者らが個々にあちこちに移
すというどさくさの中で、ついにクーンの遺体は消息不明になってしまった。それがオラ
ンダ側の記録をたどって描き出されたストーリーだ。

オランダ植民地政庁は1939年にクーンの墓所の発掘調査を行ったが、クーンの遺体を
見つけることはできなかった。クーンの遺体の真相については、だからオランダ学術界で
も謎になっている。

ところが異説を唱えるインドネシア人の中に、「そら見たことか・・・」と笑いながら言
う者がある。オランダ人の記録はクーンの不名誉を隠すために意図的に作られたものでし
かなく、クーンの葬式も墓も目くらましのための芝居に過ぎず、クーンの遺体などバタヴ
ィア城市内には最初から存在しなかったのだ、とかれらは言う。


9月20日に行われた敵味方入り乱れての白兵戦のさ中に、マタラム戦士がクーンを討ち
取ったという説がある。そのときクーンの首級が持ち去られた可能性は高い。しかしその
場合、首なしの遺体は残っているはずであり、遺体が存在しないとは断言できない。

ところがそうでなく、もっと奇想天外な話も語られている。マタラム側の隠密部隊が乱戦
の中をくぐってオランダ側陣地に潜入し、クーンを誘拐して連れ去ったというものだ。そ
の場合には確かにクーンの遺体がバタヴィア城市内から消え失せてしまうことになる。

三百年に渡ってインドネシアを支配しインドネシア民族を苦しめたオランダ植民地主義の
礎石を築いた父であるクーンの死命をインドネシア人であるマタラム戦士が制したという
胸のすくストーリーにインドネシア人として共感を持たざる者はいないだろう。それが乱
戦の中でクーンを討ち取ったマタラム戦士であろうと、はたまた隠密部隊の一員であろう
と、違いはない。

隠密部隊はクーンをバタヴィア城市外のどこかで殺害し、その首級を持ち帰ってスルタン
アグンに献じた。首なしのクーンの遺体はどこかに捨てられ、二度とオランダ人の目に触
れることはなかった。一方、スルタンアグンはクーンの首級をイモギリImogiriにある王家
の墓所に登る階段の最下段の中に埋めさせた。王家の墓所に詣でる者は全員がクーンの首
級を必ず踏みつけにすることになる。というのがそのストーリーの結末だ。

この話の真偽はイモギリのマタラム王家墓所の階段を調査することで白黒が着けられるよ
うにわたしには思えるのだが、そんな話はどこからも出て来ない。学術界にはそれが荒唐
無稽の話であるという定評が既に作られているのだろうか?それとも、もしもネガティブ
な結果が出た時のことを配慮して、誰もが猫の首に鈴を付けるのを避けているのだろうか?


みんなでクーンの首級を踏みつけにしようというほどクーンを憎むようになったのが、三
百年に渡ってオランダ人がインドネシア人を踏みつけにして来たことへの反動であるのは
言をまたない。だがその感情は三百年という長い歳月の中で蓄積された知識と体験に基づ
いて後世のインドネシア民族が抱くようになったものなのであって、スルタンアグンの時
代にその感情がマタラム王宮の中に共有されていたと考えるのは時代錯誤だろうという気
がする。スルタンアグンにはクーンが起こした動きの先行きを想像はできても、それを皮
膚感覚の中に持って憎しみという感情に沈潜させることが果たして可能だったかどうか、
わたしはその点に疑問を感じている。

極度に感情的な結末のストーリーには話者の感情が投影されている可能性を無視できない
ことが多い。真相をどうこう断定する気はないのだが、その面からイモギリの階段のスト
ーリーに感じられる違和感をわたしは払拭できないでいる。

いまひとつ感じられる不自然さは、どうやらスルタンアグンがそれを大々的に宣伝しなか
ったらしい点にある。もしも憎むべきクーンの頭をみんなで踏みつけにする仕組みを講じ
たのであれば、それがジャワの民衆に明示されるような宣伝を行うのがかれの立場上当然
のことではなかったろうか?ジャワの民衆が怒りをぶつける場を用意したのだから、民衆
の怒りをあおり、オランダ人を卑しめ辱めるるために、そのことを公然たる情報になぜし
なかったのか、という疑問も避けては通れないだろう。[ 完 ]