「短縮語いろいろ」(2019年10月15日)

ライター: 文学者、クルニア JR
ソース: 2013年1月18日付けコンパス紙 "Soak"

2012年12月26日付けレプブリカRepublika紙26ページ西ジャワニュースの記事の
一つを読んでいて、rutilahuという語がわたしの目を釘付けにした。わたしは記事を最初か
ら読み返して、rutilahuがrumah tidak layak huniの短縮語であることを理解した。

この新語の創造に西ジャワという要素が関わっていたのかどうかわたしには分からないが、
プリアガンPriangan社会におけるアクロニムの隆盛がわたしの目をみはらせているのは確
かなことだ。comroやmisroから始まって、さまざまな食べ物の名称が続々と作られた。

comro: oncom di jero 中身がオンチョムの、シンコンのすり身のゴレガンgorengan
misro: amis di jero 中身がアレン砂糖の、シンコンのすり身のゴレガン
colenak: dicocol enak 焼いたタペシンコンにヤシ砂糖をなすって食べる
cilok: aci dicolok タピオカ粉のゴレガンをサテのように突き刺したもの
cireng: aci digoreng タピオカ粉のゴレガン
cimol: aci digemol タピオカ粉を丸くしたもの

Cimolは別の意味もある。昔バンドンのチバダッCibadak通りには古着を専門に扱うカキリ
マ商人が大勢いた。そこでチバダッモールというあだ名がつけられた。モールは英語で
mallだが、インドネシア語表記ではmolとなる。ひとびとはそれをCimolと呼んだ。今やか
れらはグデバゲGedebageに移されたが、チモルの名前は残った。


ジャカルタでは2007年まで、プラザインドネシアにそごうデパートがあった。そして
古物カキリマ市場にSogo Jongkokというあだ名がつけられた。そごうのように何でも売ら
れているが、買い手は地面に置かれた商品をしゃがんで見なければならない。だから「し
ゃがみjongkokそごう」と言うわけだ。それがもしバンドンで起こったなら、その二語のあ
だ名が無事で済むかどうか、わたしには確信がない。二音節の一短縮語にされる可能性は
大きいと言えよう。

他にもbatagor (bakso tahu goreng)やgehu (tauge di dalam tahu)がある。バンドンのガ
トッスブロト通りに近い一軒の家の表には、batras という看板が見られる。これはどうや
らpengobatan tradisionalらしい。


中部ジャワにはnasgithel (panas, legi, kenthel)がある。tah panas, manis, kentalだ。
そしてbangjo。abang-ijoとはmerah-hijauの意味で、すなわち交通信号。黄色は無視され
るものと決まっているのだろうか?

マカッサルにはbentorがある。意味はbecak-motorなのだが、中に/n/がはさまれているの
は、言いやすさが追求されたためだろうか?オートバイの頭を切り離してベチャの座席を
溶接したもので、昔ジャカルタにあったhelicak (helikopter becak) のようなものだ。ヘ
リコプターともなると俄然、修飾関係が英語式になるところが面白い。

rutilahuやbangjoを除いて上にあげた短縮語は、コマーシャリズムのコンテキストから消
費者に言いやすく、また覚えやすく言葉を簡略化させた小市民の素朴な反応の産物なのだ。

一方、rutilahu, alutsista, curanmor, menparekraf 等々の国家機関がマスメディアを
スポンサーにして作り出して来る短縮語は社会の標準にしないほうがよい。政府機関、中
でも警察や軍隊が作って蓄積しているフォーマル短縮語は言語システムを混乱させている。
その中に使われている単語は往々にして不明確であり、われわれがそれをたどろうとして
も困難なケースが頻繁なのだから。ましてや、次の世代にとってはもっと困難になるにち
がいあるまい。

されば、筆者が原文のタイトルにしているsoakとは何のことか?オランダ語のzwakが取り
込まれてインドネシア語になったlemahを意味する単語ではない。これはsoal akronim(短
縮語問題)の短縮語なのである。説明が最後になって申し訳ない。