「短縮語好きは分解も好き」(2019年10月17日)

ライター: 文司、インドネシア語シソーラス編者、エコ・エンダルモコ
ソース: 2014年11月1日付けコンパス紙 "Dari VOC ke Bahenol"

少なくとも1602年にVOC(De Vereenigde Oostindische Compagnie オランダ東イン
ド会社) が赤道のエメラルドにオランダ帝国主義を植え付ける道を開いたときから、ヌサ
ンタラ住民は短縮語を知っていた。短縮語は完全なひとつの語義を有しており、単語と同
じ働きをする。単語と同じように、短縮語の出現は言語使用者が何かを表明するためのア
イデアのシンボルを作りたいという必要性によってもたらされるものだ。言うまでもなく、
そのシンボル性は時代に深く関わっている。

ハリムルティ・クリダラクサナ著「インドネシア語における語形成(第5版、2009年)
」に記された素晴らしい研究の中に、省略語形成の45種のパターンが解説されている。
短縮語16種、略語・縮約16種、断片6種、文字シンボル7種がその内訳だ。世の中の
短縮語使用傾向はますます高まっており、なかでも若者層がさまざまなソスメドを通して
書き言葉と話し言葉の両方で盛んに使用している。

形態的側面から見るなら、増加しているさまざまな短縮語とアクロニムの作成はわれわれ
の熟知しているパターンから逸脱して、秩序に従わないシンボル化の様相を濃くしている。
ハリムルティ教授の労作のあと、誰が更に発展を続けている形成パターンをまとめていく
作業を行うのだろうか?ハリムルティ教授のまとめた45種のパターンに該当しない新し
いものがいろいろと出現していることをわたしは確信しているのだ。

含有されている語義の面から見るなら、若者層の間で生きている短縮語はたいへんに大き
い豊かさを示している。既存単語や短縮語やアクロニムに別の語義を与える逆アクロニム
のような行為もかれらの得意とするところだ。ひとひねりした視点から少々皮肉を込めて
笑いものにしようとする精神性がそこに感じられる。

実にくすぐったく愉快なものに出くわすこともあるが、かれらは既存の決まりを打ち壊し、
できあがっている体制への反抗を示そうとして、公共規範を小突き回しているのである。
次のようなものがその例だ。
GALAU : (1)Gelisah Antara Lanjut Atau Udahan, (2)Gue Akan Lakukan Apapun Untukmu
PARPOL : Persatuan ARtis dan POLitikus
PKB : Paman Keponakan Berseteru
SELINGKUH : SELingan INdah Keluarga UtuH
ARDATH : Aku Rela Ditidurin Asal Tidak Hamil
ATM BII : Asal Tidak Mengandung Berselingkuh Itu Indah
BAHENOL : BAdan HEbat otak NOL
ASUSILA : Asal SUka SILAkan

既存秩序からはみ出そうとするその傾向は当然のごとく、秩序と決まりを重んじる国語防
衛団からの強い反発と批判を招いた。その最前線にいるのは、あらゆる形の短縮語の存在
を容赦なく拒否する、アレルギー傾向を帯びたコチコチの集団である。

上でちょっと触れたように、言語史における遺物として短縮語は歴史資料と見ることがで
きる。たとえばスカルノ時代のことをロッキー・グルン氏は、「スカルノは大衆動員政策
のために短縮語を開発した。短縮語を通して大衆心理が操作された。Trikora (Tri Komando 
Rakyat)やKogam (Komando Ganyang Malaysia) には命令が盛り込まれており、またAmpera
 (Amanat Penderitaan Rakyat)やNasakom (Nasionalisme-Agama-Komunis)には暗示が含ま
れている。」とテンポ誌2014年9月29日号のPolitik dan Akronimと題する記事の中
に書いている。

一方ヘンドリFイスナエニ氏はヒストリア誌2010年12月21日号に掲載されたDari 
SBY sampai SDSBと題する論説に「短縮語はオルバ期に旺盛に繁茂した。なぜならその強
権レジームは異なる意見を持ったり表明したりする自由を制限したからだ。マウラーはそ
れを地下嘲笑と呼んだ。」との見解を述べている。

ハリムルティ・クリダラクサナ教授の短縮語構造に関する貴重な研究がまだ完了していな
いことを上で述べた。自分自身が生きている時空に対するインドネシア語話者の反応とし
てそれを見るセマンティックアスペクト(実用面)においても同様である。最新状況の中
に出現する新たな例の多さには限りがない。その二つの問題がかたくなな反対派の国語専
門家とオブザーバーたちに、そこにあるもっとたくさんの問題に光を当てる努力を払うよ
う公開招待状を送りつけているとわたしは考える。