「公的機関の短縮語は難物」(2019年11月02日)

ライター: 文司、アヤトロハエディ
ソース: 2003年2月15日付けコンパス紙 "Pemilu Bikin Pilu"

短縮語とは文字や音節や他の部分を合成して縮めたもので、自然な単語として書かれたり
発音されるものだ。例えばmayor jenderalをmayjen、peluru kendaliをrudal、inspeksi 
mendadakをsidakとするようなものである。

それらの造語が新語であるなら、異義が唱えられることはないように思われる。上に引い
た例のように、短縮された言葉がこれまで存在しなかったものであるなら、ということだ。
ところが、短縮された結果生まれた言葉が既存のものと同形になったとき、それは世の中
に負担を増加させる結末をもたらすことになる。たとえばpemilu, berseri, atlas, teguh 
berimanなどの短縮語は、同形のオリジナル単語に負担を与えるのである。

基語piluの派生語であるpemiluは、(a) memiliki sifat pilu, (b) alat untuk menjadi-
kan pilu という語義を既に持っているところに、更にpemilihan umumという語義が追加さ
れることになる。pemilihan umumが終わった後、民衆、中でも草の根庶民は決まってpilu
になるという話を謳って基語の派生語にしようと言うのだろうか?

インドネシア語における短縮語の発展は既にコントロール不能な段階に至っているようだ。
国語文学院〜国語院〜国語開発育成センター〜国語センターと名を変えて発展してきた公
式インドネシア語の検討機関は昔から短縮語問題に強い関心を抱いている。その公的機関
の上層部は昔から、国民を過度に当惑させないために短縮語作りを抑制するよう呼びかけ
てきた。

残念なことに、かれらの直属上司であるヌグロホ・ノトスサント教育文化大臣が一通の回
状をかれらに送りつけたとき、かれらは深く落胆して意気消沈してしまった。回状には3
0を超える短縮語がインターネット用インフォーマル新造語として列挙されていたのだか
ら。いくらインフォーマルだと注釈がつけられようが、大臣が下達したものが特定集団の
中でのみ使われるにとどまることなど期待のしようがない。得たりとばかり記者たちがメ
ディアの中に使うようになる。

utul sipenmaru, Ditjen Dikdasmen, Ditlinbinjarah, Pusbangkurandikなどの短縮語が
インドネシアの新聞雑誌から公的文書にまで散りばめられることになった。記者が取材の
中で入手したそれらの短縮語は、一般国民に報道されるときに元の言葉に置き換えられる
のがあるべき姿であり、非専門家である一般国民に対してメディアが担うべき架け橋の役
割がそこに実現される。そのためには短縮語と元の言葉の対照表という安直がメディア界
に不可欠になるのだが、それを完備させたメディア企業はひとつもなかったようだ。情報
消費者である一般国民は当惑の上に当惑を重ねることになった。

読者は次の文を理解できるだろうか?
Dalam rakor renstra Wanhamkamnas itu, para pangkowilhan, pangdam, pangkoarma, 
pangkodau, dan pngkohanudnas menyatakan kesiapan melaksanakan hasil rakor itu.
そこに使われているdalam, itu, para, dan, menyatakan, kesiapan, melaksanakan, hasil
以外の単語を一般国民のだれがすぐに理解できようか?国軍という環境の中で活動してい
る人間にとっては、きっと普通のことなのだろう。だがその文をだれが読むのかというこ
とを考えるなら、一般国民にそのようなものを提示するべきではない。取材記者は読者視
聴者に意味のない単語を示すことの愚かさを認識しなければならないのである。

クリエーティブな短縮語を生み出す人もいるが、くすぐったいような短縮語がたくさん出
て来るのであれば、うざったいものだ。既存の単語を短縮語と見なして、短縮される前の
言葉を作るひともいる。
pentil kecakot semut をpenerangan tilpon kecamatan kota Semarang utara
jabotabek をjawa bodoh tapi beken 
Gus Dur をAgustus mundur (実際は7月に早まった)
Akbar Tanjung は緩慢な法プロセスにからめてAkan bubar tanpa ujung