「オーストラリアを襲ったUボート(終)」(2019年11月22日)

インド洋を北上中の12月6日、U−862は米軍艦艇ピーター・シルヴェスターと遭遇
し、インド洋南東海域で敵艦を沈めた。それがインド洋での潜水艦による最後の軍艦撃沈
であった。来た時の航路をたどってジャカルタに帰投したのは1945年2月15日だっ
た。

この艦は最終的にドイツが降伏したことで日本海軍に接収され、伊502号として194
5年8月15日を迎えることになった。

最後にオーストラリア作戦に出撃したのはU−196である。1944年11月30日に
ジャカルタ港を発してスンダ海峡に向かい、そして消息を絶った。機雷に触れて沈没した
ものと推測されている。


観光地カリムンジャワ島は総面積110万平方キロのカリムンジャワ国立公園の中にある。
ほとんどが海で占められているこの国立公園の海底に、沈没船の残骸が横たわっている。
それがナチスドイツの潜水艦Uボートであるらしいということを地元のダイバーたちが2
012年に国立考古学センターに報告してきた。場所はカリムンジャワ島から96キロ離
れた、深さ19メートルの海底だ。

ジャワ海に沈んだドイツUボートの記録は次のようになっている。
U−168 1944年10月6日、オランダ潜水艦ズワァルトフィッシュの雷撃でスラ
バヤ北西方に沈没(06.20S, 111.28E)
U−537 1944年11月10日、米国潜水艦フラウンダーの雷撃でスラバヤ東方に
沈没(07.13S, 115.17E)
U−183 1945年4月23日、米国潜水艦ベスゴBesugoの雷撃でスラバヤ北方に沈
没(04.57S, 112.52E)

沈没地点の経緯度を見る限り、カリムンジャワ島から南東方向に96キロの位置にあるの
はU−168が該当しており、U−183はスラバヤ北方と言うよりも中部カリマンタン
に近く、U−537はマドゥラ島から120キロ東方にあるカゲアンKangean島に近い。

考古学センターは2013年に調査を行い、船首から中央部まで33メートルある潜水艦
の残骸を確認した。水深は20〜25メートルだった。考古学センター海洋考古学調査チ
ームリーダーは、船尾部分を探してそのUボートが何であるのかを確定させたいと述べて
いる。「船尾にはアイデンティティロゴが書かれているのが普通だ。この残骸がU−16
8であった確率は高いのだが、確定させる決め手がまだ見つからない。別の艦U−183
がレンバンRembang沖に沈んだという情報があるため、誤認を避けたい。」

調査の際には、食事用の皿・コップ・メガネ・望遠鏡・蓄電池・潜水用具などが見つかっ
ており、皿の底に逆十字をつかんだ鷲の絵が描かれていることから、それがナチスドイツ
の潜水艦であることは十分に推測できる。またヨグヤカルタ考古学館調査員は、そのとき
の調査で見つかった17体の遺骨について、骨格は間違いなくドイツ人のものだと念を押
している。

考古学センターはその残骸の機関室があった船尾部分を2014年に捜索する予定にして
いたが、予算の問題が障害になったために計画を延期している。[ 完 ]