「戦争の置き土産がゴロゴロ(前)」(2019年11月28日)

第二次大戦時の機雷がクンダリ湾の海底に転がっていれば、爆弾や迫撃砲弾なども陸上に
転がっているのがインドネシア。2009年11月6日のコンパス紙は、バンテン州ルバ
ッ県ランカスビトゥン郡西ムアラチウジュン町ケオン部落にある橋の下で第二次大戦時に
使われたと思われる爆弾が見つかったことを報じた。

住民の届によって地元警察が即座に爆弾の回収を図り、セラン市の州警察機動旅団本部が
出動して持ち帰った。機動旅団本部で爆破処理がなされる計画になっていたからだ。

インドネシアでよく使われている抱き枕グリンgulingほどの大きさのその爆弾は爆撃機か
ら投下されたもので、たまたま不発だったが爆発機能はアクティブであり、破壊力は半径
5百メートルある、と州警察機動旅団爆発物処理班グガナGeganaユニット長は記者説明を
行った。

この爆弾を見つけたのは西ムアラチウジュン町プロサリ部落に住む農夫で、チブラン川沿
いに薪を探しに出かけたとき、午前11時ごろにケオン部落の橋の下で木を見つけ、木を
引っ張り上げるために縄を掛けた。

いざ縄を引っ張ったとき、縄は金属製の長い筒状のものに引っかかった。その正体不明の
奇妙なものはかなりの重さがあったことから、かれは近所の男衆ふたりに手伝ってもらっ
て路上に引き上げ、その物体はそのままにして薪探しに精を出した。

かれが県警本部に届けを出したのはその日18時半だった。爆弾らしい物体の発見通知が
機動旅団本部に出され、グガナ班が爆発物運搬車両を伴って現場に駆け付けたのはその日
22時。

グガナ班はおよそ30キロの重量があるその抱き枕状の物体を調べて正体を割り出し、そ
れがアクティブな爆弾であることに鑑みて「住民は爆発物を見つけたら手を触れないよう
にしてすぐに警察に届け出るように」との表明をメディア界に報道させた。発見者がそれ
を爆弾と確信していれば、そんなことを言わなくとも手出しはしないだろう。

グガナユニット長の話によれば、2008年以来バンテン州警察管区で発見された爆発物
はこれで7個目であり、これまで届け出のあったものは破壊力が半径1百メートル以内の
手りゅう弾ばかりで、航空機爆弾は今回がはじめてである、とのことだった。手りゅう弾
のほとんどがチレゴン市とセラン市の海岸部で見つかっている。


第二次大戦の置き土産である手りゅう弾はボゴール市内にも転がっていた。ボゴール市内
スディルマン通りのルコで20年間縫製業を営んでいるズルキフリさん65歳は、数日前
から建物裏のセプティタンクを掘り起こす作業を、雇った作業者に手伝わせていた。

2011年9月23日朝、作業者のスコップが鉄の塊に当たった。それをただのくず鉄だ
と思った作業者はスコップでその塊を地面に数回打ち付けた。それを見たズルキフリさん
は穴からその鉄塊を拾い上げてしげしげと眺めた。直径10センチくらいの丸い塊で、高
さは15センチくらいある。長い間土中に埋まっていたから鉄くずにしか見えないが、よ
く見ると頭部の信管と本体に分かれている形が見えてきた。こりゃいったい何かな?
[ 続く ]