「戦争が爆弾漁の火付け役(後)」(2019年12月06日)

ところが、そんな犯罪をビジネスで行わせようとする資本家が出現するのがインドネシア
なのである。末端現場ではジュラガン(juragan =親方)と呼ばれる手配師が借金で身動
き取れなくなった漁民に爆弾漁を奨める。

爆弾漁は簡単で効果が大きい。小さいコストで大きく儲かる。実行者の漁民にとっても、
重い網を引いたりする力仕事よりも楽であり、諸用具の維持費や修理費などが不要になる。

爆弾漁で稼げば借金も返せるだろう。もしも事故で死んだら、すべての借金はジュラガン
が棒引きにしてくれ、遺族には50万ルピアの弔慰金が与えられる。もしも違法行為のた
めに警察沙汰になった場合は、釈放されるようにジュラガンが一切の面倒を見てくれる。
それはスラウェシでの話。


ビアッ・ヌンフォルでは、十数年の間に爆弾の取扱い技術が向上した。50キロ爆弾一個
から数百個の瓶や缶に小分けすることができるようになった。小規模用であれば1千個を
超える。

最初は浜から近い深さ10メートル程度のサンゴ礁で爆発させていたが、魚が減って来た
ためにもっと沖へ出るようになった。爆発の規模もおのずと大きくなる。

0.5キロの爆薬を使えば、半径3メートル以内の魚は粉々になる。半径10メートル以
内の魚は鼓膜が破れて気絶し、骨が壊れて死ぬ。しかしそうやってできた獲物も水流によ
ってどこかへ流されてしまうから、漁民が回収できるのは45〜50%だと言われている。

だがビアッ・ヌンフォルがいつまでも無法地帯であり得るはずもない。爆弾漁は犯罪であ
り、犯罪者がそれを行っているのだ。犯罪者はどこかから高速艇でやってきて爆発を起こ
し、大型から中型くらいまでの魚を集めて去って行く。小さい魚は地元民にくれてやると
いう姿勢のようだ。

地元民の中には、祝い事の宴に使うために大量の魚が必要になることがある。それを非合
法に手に入れようとする者がいないわけでもない。その場合、爆弾漁は遠く離れた別の村
の海で行うのが普通だ。なぜなら、村々は自治慣習法を作って爆弾漁を行う住民に制裁を
与えることにしているのだから。

ある村では、爆弾漁を行った者に対するこんな決まりが作られた。
一、即座に官憲に引き渡す。
一、村役は当人が必要とするあらゆる行政手続きに応じない。
一、村役は当人が行う祝い事の招待に応じない。
一、当人が行う祝い事の招待に応じた村人にも、同じ制裁が科される。
ところが、往々にして官憲に引き渡された爆弾漁実行者がいつの間にか釈放されていると
いうことが起こった。そのため、今では官憲に引き渡すことをせず、即座に裁判所に告訴
するという方法に変わっている。


爆弾漁は2000年ごろまでのおよそ二十年間、インドネシアで猛威を振るった。爆薬は
たいていの地方で容易に手に入った。軍や警察の不良職員が売る品物から、マフィア組織
が台湾などから密輸入して供給するものまで、入手ルートに苦労することは稀だったよう
だ。そんな中で、場所によっては第二次大戦の不発爆弾が大きい役割を果たしたことも否
定できない。

海で行われた爆弾漁はサンゴ礁を激しく痛めつけた。不発爆弾もそれに手を貸したのは事
実なのである。歴史にもしもはないのだが、あの戦争なかりせばビアッ・ヌンフォルの海
はもっと違うものになっていたにちがいない。

そうであるなら、不発爆弾を使った爆弾漁だけを悪者にするには当たらないだろう。戦闘
の際に爆発した爆弾も、たくさんの魚とサンゴ礁を破壊していたにちがいないのだから。
[ 完 ]