「嘆きのモロタイ島(終)」(2019年12月13日)

歴史観光スポットは上で述べたようなところでほぼ網羅されているように思われる。海で
の観光としては、域内に28のダイビング・スノーケリングスポットがあり、そのうちの
ひとつであるワワマWawamaダイビングスポットには深さ43メートルの海底に連合軍航空
機の残骸が横たわっている。

ドドラ島近辺にもスポットがあり、一日では遊び足りないひとは大ドドラ島にあるコテー
ジに宿泊することもできる。利用する場合はモロタイ島県文化観光局にコンタクトする必
要がある。

小ガロガロGalo-galo Kecil島の砂浜はまるで粉末のように繊細な砂だそうだ。ただしト
イレも何もないから、長居はできない。

アンサイAnsai島には数千羽のこうもりがいて、昼間は立木にぶら下がって眠っている。
夕方起きだすと、果実を食べるためにほかの島々に集団で飛び立って行く。モロタイ島が
果実の季節になると、夕暮れに大量のこうもりが空を覆う黒い塊となって飛び去る光景を
目にすることができる。しかし果実の季節でないときは、こうもりは別の島に移るようだ。


戦争という異常なものがもたらしたにせよ、そして地元民に明暗さまざまな出来事をもた
らしたものであるにせよ、モロタイ島を通り過ぎて行った文明の記録を残しておくべきだ
と考える地元民がいないわけでもない。39歳のムッリス・エソさんがその推進者だ。か
れはダルバの国立イブティダイヤマドラサで歴史を教えている。観光ガイドでもあり、そ
して同じ考えを持つ仲間たちと一緒に戦争の遺物を集めている。

ムッリスさんはかつて祖父からこう言われた。「気を付けろよ。日本軍や連合軍が遺した
物を売り払っちゃいけない。かれらはそれを取り戻しにやって来るぞ。」

かれは祖父の言葉が意味するものをかみしめた。戦争の遺物はモロタイに保存して、この
島が体験した戦争というものの歴史を子々孫々に伝えていかなければならないのだ、と。

戦争の遺物を拾ったり掘り出したりした島民から、かれらはそれらを買っているし、かれ
自身も遺物を探してあちこちを歩いている。金属探知機を使い、地面を掘り起こしたり、
森の奥にまで入ったりする。

十歳のころから行っているその活動で見つかる遺物は減っている。昨今見つかるのは、深
い土中に埋まっているものがほとんどだそうだ。今では自分の勘のほうが金属探知機より
も信頼できる、とかれは笑う。


2010年になって、かれはダルバの町から少し離れたトゥベラTubela村の自宅の傍にあ
り合わせの材料で質素な建物を造り、そこに長い歳月をかけて集めた武器・兵器・弾丸・
コイン・兵隊用食器や水筒・コカコーラの缶・階級章・手袋・殺虫剤・香水瓶・鉄かぶと
などの遺物を陳列した。ミニ博物館とかれらはそれを呼んでいる。

床には錆びた武器・兵器が置かれている。迫撃砲・手りゅう弾・拳銃・突撃銃・機関銃・
ロケット砲弾の薬莢・さまざまな口径の弾丸・・・。たいていが米国やフランスあるいは
オーストラリア製だ。日本軍が使った軍刀や手りゅう弾、爆弾などもある。

連合軍兵士が身に着けていたネックレス型の認識票もかなりの量が集められている。氏名
と所属部隊が記された認識票は戦死者の届け出に使われ、記録が残されるとともに遺族に
通知される。モロタイ島で戦死した兵員の遺族、と言うよりも子孫だが、アメリカやオー
ストラリアからやってきたかれらがミニ博物館を訪れて親族の認識票を見つけると、喜び
をあらわにする。ムッリスさんが「持ち帰ってもいいですよ。」と勧めても、「ここに保
管しておいてください。」という返事が返ってくるそうだ。

二カ所のヤシ農園に放棄された連合軍の水陸両用戦車の残骸がある。それが切り刻まれ、
鉄くずになって売り払われることのないように、かれはそれらの遺物の管理者を明示して
保護に努めている。

ムッリスさんのそのような努力とは別に、中央政府教育文化省も2013年に、連合軍が
上陸した地点に第二次大戦博物館Museum Perang Dunia IIをオープンした。ムッリスさん
はあくまでも個人の力で、自分たちの意思のこもった博物館を運営したいと考えている。
そんな博物館をもうひとつ設けたい、とかれは自分の夢に向かって邁進している。[ 完 ]