「行政区画名称の変遷(終)」(2020年01月10日)

1965年になって、自治体行政区画についての法律第18号が制定され、三段階の階層
構造がより明確に全国を覆うことになった。
1. 第一級自治体(Dati I)はPropinsiとKotaraya
2. 第二級自治体(Dati II)はKabupatenとKotamadya
3. 第三級自治体(Dati III)はKecematanとKotapraja

Kotarayaは首都を指し、その当時から現在に至るまでジャカルタがそれに該当している。
その名の通り最初は市kotaであり、市長Walikotaが行政首長だったのだが、市が首都特別
区Daerah Khusus Ibukotaと改称されて首長は知事Gubernurとなり、現在は首都特別州
Propinsi DKIと変わって州そのものになっている。

Kotamadyaはmadyaの語が示すように中の位にあるコタであり、上位のコタラヤの次に位す
るコタを指している。第二級自治体として市長Walikotamadyaを首長に頂く行政区画だが、
現在は公称としてのKotamadyaがKotaに変更されているため、Kotaprajaとややこしい関係
にあることも確かだ。

Kotaprajaとは小規模のkotaであり、インドネシア語ウィキではKotamadyaとKotaprajaを
英語CityとTownの関係に擬している。Kotaprajaの首長はWalikotaprajaもしくはKepala 
Kotaprajaと呼ばれている。一般的なパターンとしては、Kabupatenの中にあるKotaがこの
コタプラジャに該当しているケースが多いようだ。

第三級自治体の下にはまだ行政ヒエラルキーがあって、ジャワではKelurahanとDesaが存
在している。この部分は各地方で伝統的な機構と名称が存在しており、全国一律の姿にな
っていない。
KelurahanはLurah、DesaはKepala Desaが統率し、住民に対する末端行政をつかさどって
いる。KelurahanもDesaも役所であり、業務に関わっているのは公務員だ。

その下にRWRukun WargaとRTRukun Tetanggaがあり、これは住民の自治組織であって
住民が選挙を行ってその役員を選出しているのが普通だ。これは日本軍がインドネシアに
持ち込んできた日本の隣組制度に由来していて、軍政期間中はインドネシアでも日本語で
RWの組織を字Aza、RTの組織を隣組Tonarigumiと呼び、役員を字長Azachooや(隣)組
長Kumichooと呼んでいたが、独立してからはその日本語が廃語にされてインドネシア語で
エルウェー、エルテーと呼ばれている。この自治組織の役員はボランティアが建前になっ
ているものの、その住民自治組織とつながっている行政末端機構からの資金面のバックア
ップなしには済まないのが現実の姿になっている。

村の下にはKampungやDusunあるいはDukuhなどと呼ばれる小単位の群落・集落があるが、
それらは行政区画でなく、村Desaを構成する一部分である。もちろんそれらもエルテー・
エルウェーのような住民自治組織を持っているものの、中味は伝統的慣習的な匂いのかな
り強いものだ。

わたしはそれらの行政区画に次のような日本語をあてているので、わたしの訳文で分かり
にくい時は、これをご参照ください。
Propinsi 州  Gubernur 知事
Kabupaten 県  Bupati 県令
Kota 市  Walikota 市長
Kecamatan 郡  Camat 郡長
Kotapraja 街  Kepala kotapraja 街長
Kelurahan 町  Lurah 町長
Desa 村  Kepala Desa 村長
RW 字  Ketua RW 字長
RT 隣組  Ketua RT 隣組長
Kampung/Dusun/Dukuh 部落・集落
[ 完 ]