「民族性はエゴの絶対自由(前)」(2020年02月06日)

ライター: 文化人、ヤコブ・スマルジョ
ソース: 2011年6月18日付けコンパス紙 "Hukum Rimba"

学校生徒間・村と村同士・治安維持要員間・住民の間でのタウラン(集団喧嘩)という暴
力行為がどうしていまだに発生し続けているのだろうか?

その現象は実際に、インドネシアでの生活がジャングルの法則、すなわち強い者が勝ち、
勝者が真理の保持者になる、という原理に従って営まれていることを示しているのである。
そこに起こっているのは、自分と異なる他者に対して一方が行う真理の強制なのだ。

レフォルマシ時代の到来で、誰でも自分にとっての真理を持つことができるようになった。
真理との邂逅はひとによってさまざまであり、それどころか個々人にとってのメリットに
従って真っ向から対立することも起こりがちで、その結果、その正しさをめぐって闘争す
ら起こる。闘争は真理の勝者を生み、敗者の真理を粉砕する。

そのようなメカニズムは絶対自由主義のもたらすものなのだ。自由の名において異なる真
理の間でタウラン暴力が起こり、最終的に唯一の優勢な真理がその環境を覆うという事態
が出現する。強い者が小さい者を滅ぼし、マジョリティがマイノリティを抑えつけ、武器
を持つ者が素手の者を封じ込める。

< バランス律 >
独立以降のインドネシアの歴史においてその種の現象は、あたかも時計の振り子のように
繰り返された。しばらく右へ動いたかと思うと、また左に傾きを変える。左は自由のない
絶対独裁世界であり、右は限度をかなぐり捨てた自由の世界だ。

独立の初期、大統領のパワーが強くなりすぎるのを怖れて第X号副大統領告知が必要とさ
れた。左の振り子は右に動く。1950年のインドネシア連邦共和国時代には右にあった
振り子が左に動いて、連邦制は単一国家制に移行する。1950〜59年のリベラルデモ
クラシー時代に振り子は右に振れて、絶対自由を標榜するその時代には中央と地方間のタ
ウランや分離主義運動が猛威を振るった。

1959〜66年の指導されるデモクラシー時代に振り子は再び左によって唯一絶対真理
が幅を利かせ、終身大統領が出現した。1966年から1974年までの間にオルデバル
体制はオルデラマ体制を駆逐して振り子は右、つまり絶対自由を保証する動きを見せたも
のの、すぐに左への方向転換を起こしてオルバ単一真理が全土を覆った。1998年に興
ったレフォルマシ時代にオルバの単一真理はデモ群衆にもみくちゃにされ、振り子は右に
動いて現在われわれは絶対自由の時代に生きている。

この振り子はいったいいつになったらテーゼとアンチテーゼの反律を止めるのだろうか?
ジンテーゼは起こりうるのだろうか?拮抗点は得られるのだろうか?安全と平穏は正義と
繁栄を手に入れることを容易にするはずなのに。

「そうだ。われわれにはパンチャシラがある。」と突然わたしは思い出した。多分それが
答えかもしれない。しかし本当にそうだろうか?パンチャシラとはいったい何なのだろう。
[ 続く ]