「東インド植民地空軍小史(1)」(2020年02月10日)

オランダ植民地政庁は自領土の防衛のために陸軍と空軍を持った。海軍は本国のオランダ
王国が東インド派遣艦隊を用意して指揮系統を一元化し続けた。海と島々に満ち満ちてい
るオランダ領東インドの海上防衛を植民地政庁が自ら握ることがなかったのは、いささか
合理性に欠けていたと見えなくもない。

元々、蘭領東インド植民地の軍隊というのは、ヌサンタラの各地にあった諸王国に対する
征服戦、そして原住民が起こす反乱への討伐鎮圧戦がメインを占めていたことから、領土
内への内向きの軍事力の中に、圧倒的優位にある海上の兵力まで植民地政庁が手掛ける必
要はないという判断がなされていたのかもしれない。

植民地陸軍は兵員のマジョリティがインドネシア人プリブミになっていた。つまりそこだ
けを見るなら、被支配層であるプリブミが支配者であるオランダの植民地利益のために銃
を持って戦争していたという構図になっている。だが西洋人がやってくる前はヌサンタラ
の域内にある諸王国が互いに戦争し合っていたのだから、ここで愛国心を云々するには当
たらないだろう。

植民地陸軍についての話は拙作「ニャイ〜植民地の性支配」:
http://indojoho.ciao.jp/koreg/libnyai.html
の中の< 兵舎のニャイ >の項にその概略が記されているので、ご参照ください。

一方の海軍は、オランダ王国海軍であったがために東インド駐留艦隊がプリブミを戦闘員
として使うことは行われなかった。艦内の下働きとして雇用するだけに限られていたよう
だ。ジャワ海海戦でオランダの艦艇と共に沈んだインドネシア人プリブミたちは、戦闘要
員として没したのではなかったのだ。しかしオランダ王国はかれらを軍人並みに扱い、戦
没記念碑の中にかれらの名前を刻んでいる。

オランダ海軍東インド派遣艦隊の最期は「月明のジャワ海に没す」
http://indojoho.ciao.jp/koreg/libjawac.html
でどうぞ。


そのような東インドの軍事体制にとって、日本軍の進攻はオランダ植民地側が培ってきた
基本原理に対する完ぺきな齟齬以外の何ものでもなかったようだ。外からやって来る脅威
に対していかにオランダ側の防衛態勢が後手後手に回っていたか、というのが日本軍の疾
風のような蘭領東インド征服戦の裏側に付きまとっていた実態だったことを軽視してはな
るまい。おまけにイギリスも米国も手持ちの軍事資源をヨーロッパ〜アフリカ戦線に注ぎ
込んで大わらわの態だったのだから、日本側の戦略的大勝利だったことは否めない。

もちろん植民地政庁にとって日本軍の進攻は1940年前あたりから既に常識となってい
たことがらだ。ところがオランダ本国は1940年5月に日本の同盟国であるナチスドイ
ツの支配下に落ち、対日防衛戦のための軍備強化などなすすべもなくなってしまう。植民
地政庁が自力で武器兵器を調達しようとしても、世界中の生産国が敵側に入っているか、
さもなければ自国の戦争のために使うので必死になっており、自国防衛戦にとってたいし
て役立つとは思えない東南アジアの一角に融通することなど眼中にないありさまだったの
は想像に余りある。[ 続く ]