「東インド植民地空軍小史(3)」(2020年02月12日)

かれらはオランダの空軍機に乗って日本軍と戦ったのである。バタヴィアに入城してきた
日本軍に土下座し、涙を流し、歓呼の声で迎えたインドネシア人ばかりでなかったことを、
それは示しているのである。

元インドネシア国軍空軍中将で運輸大臣を務めたこともあるブディアルジョ氏は義勇飛行
兵のひとりだった。かれは通信兵としてグレンマーチン爆撃機に搭乗し、日本軍の来襲を
迎えた。


1942年1月13日、北カリマンタンのタラカン島攻略のために押し寄せて来た日本軍
に対してグレンマーチン爆撃機が6機編隊で出撃した。そして全機が撃墜され、搭乗して
いたブディアルジョも戦死したとオランダ側の戦闘記録に記された。

遺族にその通知が届き、故郷の村では遺体のない葬儀が行われた。ところがかれはタラカ
ン島の攻撃に参加していなかったのである。言うまでもなく、自分の葬儀が行われたこと
など知る由もない。

かれが実際に出撃したのは42年2月24日のパレンバン空襲だった。2月16日にパレ
ンバンが日本軍に制圧され、油田が奪われたことが連合軍上層部を苛立たせた。石油を日
本軍に利用されて戦火が更に拡大して行くくらいなら、油田を爆破して日本軍に使えなく
させる方がはるかにましだ。

かれが乗り組むグレンマーチン機にパレンバンのプラジュ製油所爆破命令が出されて、か
れは出撃した。制空権を握っている日本軍のど真ん中に真昼間の爆撃行を行う愚か者はい
ない。夜間爆撃を企図して夕方発進したのだが、目的地上空に早く着きすぎてしまったの
である。空の真ん中は暗闇に覆われ始めていたが、残った明るさが天蓋の裾を照らしてい
るころにやってきた敵機を、隼が迎撃するために飛び立って来た。

機体は火を噴いて、眼下のジャングルめがけて急降下して行く。機長のホーヘンドルプが
「脱出だ!」と叫んで機外へ落下傘で飛び降りた。だがブディアルジョはそれをしなかっ
た。機体はジャングルの巨木の間に引っかかり、かれは生きて機外に這い出すことができ
た。そのあとはジャワ島の故郷を目指すサバイバル行進が始まる。


ランプンを抜けて海岸に達し、スンダ海峡を越えてジャワ島西岸部にたどりついて、かれ
はやっと人心地つけることができた。そこからはマグラン県ムンティラン村へとただ一路。
かれが故郷にたどり着いたとき、実家には大勢の村人が集まってアルクルアンの章句を唱
えていた。そしてかれを見た一部の村人が真っ青な顔になり、「出た!」と騒いでうろた
えた。かれには一体何が起こっているのかとんと合点がいかなかったが、家族から話を聞
いて大笑いになったそうだ。

というのは、イスラムの法会である死者の供養としての四十日目のタッリランがちょうど
行われているところに死んだはずの本人が出現したのだから、誰もが驚いて当然だったわ
けだ。このオチが事実だったのか本人の創作だったのかは、今となっては知りようがない。
[ 続く ]