「教科書に見る日本軍政期(1)」(2020年02月14日)

2009年に国民教育省が認定したインドネシアの高校2年生用歴史教科書に、日本軍政
期にインドネシアがどのような影響を被ったのかについての記述がある。同じ時期に全国
で使われた複数の歴史教科書を比較したわけでないため、これだけを見てインドネシアの
国民教育における日本軍政の評価や解釈をどうこう言えるものではないが、インドネシア
人がそれをどう感じていたかの一例としてこれを見ることはできるにちがいない。

日本のインドネシア占領を下からの目線で見ることは、日本人になかなかできない視野の
拡張の一助になるにちがいあるまい。インドネシア人の目に映った日本軍政をかれらの立
場から見てみようではないか。

1.経済生活における影響
日本の占領はインドネシアの経済生活に大きい影響をもたらした。日本がインドネシアを
占領したとき、必需物資の生産機器はあらかた破壊されていたため、日本占領時代の初期
は経済生活の大部分が麻痺していた。日本軍政は経済の車輪を回転させるために種々の法
令を出した。残っていた諸物資の流通と使用は厳しい監視下に置かれた。物価の暴騰を防
ぐために物価統制のための規則が定められ、違反者は厳しく処罰された。

日本軍政は戦時経済方式を施行して、各地域は自給自足を強いられた。すなわち、地元の
生活需要を満たすとともに、戦争のための需要をも満たすのである。1942年に食糧需
要は高まり、戦争のための動員も強まった。動員と食糧増産の大規模なキャンペーンが実
施された。民衆はトウゴマの生産を強いられ、労務者になることを強制された。

2.社会流動性における影響
天然資源の収奪に加えて日本は労働力をも搾取した。数万から数十万の住民が戦争のため
の上部下部構造建設のために、強制労働に動員された。かれらは賃金なしで食事すら十分
与えられない条件下に終日重労働を強制されたため、大勢が空腹に苦しんだり、病気にな
ったり、あるいは死亡した。その労働力を動員するために各村には労務協会Rumokyokaiと
いう名の徴発委員会が設けられた。日本は連合軍に対抗する防御戦を手伝わせる目的で、
青年を集めて予備軍を編成した。

村々で労働力が動員されたことで、広範な社会的変化が起こった。逃亡に成功した労務者
たちは自分の村に新たな体験を持ち帰り、村の隔離状態が開放される結果をもたらした。
1944年1月、日本は隣組制度を開始した。隣組とは10〜20戸の家庭から成るグル
ープであり、この制度は疑わしい住民活動の監視が目的だった。戦争状態という条件下に
隣組は空襲・火災・虚偽情報の流通・敵スパイなどを防ぐための訓練機関として機能した。

3.行政分野の影響
日本がインドネシアの地を征服した後、インドネシア領土はただちに三つの軍事行政管区
に分割された。
(a) ジャワとマドゥラから成る第一区:ジャカルタに中心を置く陸軍(第16軍)による
統治
(b) スマトラ全域を所轄する第二区:ブキッティンギに中心を置く陸軍(第25軍)によ
る統治
(c) カリマンタン・スラウェシ・バリ・ヌサトゥンガラ・マルクを包括する第三区:マカ
ッサルに中心を置く海軍(第2南遣艦隊)による統治
[ 続く ]