「古代ジャワでお笑いは免税(後)」(2020年02月25日)

インドネシアでもスカルノ大統領はユーモアを好んだ。あるとき大統領がスタン・シャッ
リルとの論争で押されに押された状況が生じたあと、報道陣が大統領を囲んで記事に深み
を持たせるためにさまざまな質問を発した。

記者たちはそのできごとを形容するのに、大統領はpatah(語義は折れるだが、闘いで敗
れる表現にも使われる)したという表現を口々に発したところ、大統領は答えた。「いや
あ、わたしはrotan(籐)なんだ。折れたりはしない。あのときはぐ〜と曲がっていただ
けだ。」

それは政治指導者が使った比喩の一例だ。起こった現象に使われた言葉を遊びに変えて、
比喩で応じた。そのような能力が昨今のインドネシアの政治家には欠けていて、そのため
にかれらはきわめて直情的で怒りっぽくなっている、と有識者たちは述べている。


日本軍がインドネシアに攻め込んでジャワ島を占領してしまったとき、面白いことが起こ
ったとインドネシア人は言うのだが、やっている本人たちが必死の思いでやっていること
を笑いものにするのは、いささかブラックユーモアめいていると思えないこともない。も
ちろん、必死の本人たちをはたから見ればお笑いのネタになるというのはどこの世界にも
あることだ。必死の思い云々は別にして、真剣にやっていることがはたから笑われるのは、
やることに関する考えが浅いという教訓かもしれない。ピエロを演じる気がないのなら、
もっとよく考えてからしろということだろう。

日本軍に占領されたジャワ島では、オランダ人を含めて連合国の軍人も文民も、男女や大
人子供の別なく、強制収容所に送り込まれた。ただしインドネシア人との混血者はプリブ
ミとして扱われたから、日本軍が来る前はオランダ人として振舞い、プリブミを見下して
いた混血者が、突然自分はプリブミだと言い出してそれを証明するために躍起になったの
だから、日本軍が喜劇の舞台を用意したという珍しいケースも現実にあったのである。


もうひとつの喜劇は純血オランダ人女性たちによって演じられた。日本軍が来る前はヨー
ロッパ最新流行の服を着て靴を履き、金髪赤毛の髪をなびかせてさっそうと町中を闊歩し
ていたヨーロッパ女性たちが、一体だれが言い出しっぺか分からないが、ジャワ女に変装
して日本軍兵士の目をごまかそうとし始めた。

毎日の野良仕事で日焼けした上に薄汚れている身体をすり切れたようなカインクバヤで包
み、チャピンcaping(竹編み傘)をかぶってはだしで歩いている村の女の恰好をすれば、
日本兵にはきっと分かるまい。

ついこの前まではやんごとないユフローやメフローだった女性たちがカンプンへやってき
て、なるべく古くなってすり切れたカインジャリッkain jaritを大枚払って買い求める。
ンボンボmbok-mbokたちは大喜びだ。捨てたところで誰も見向きもしないような品物が新
品数枚分の金で売れるとなれば、だれが喜ばずにいられようか。

こうして町中のパサルに奇妙な農婦(ンボタニmbok tani)が何人も現れるようになった。
大きな身体を包み切れないカインクバヤからはみ出している手足は色白で、鼻は高く、金
髪や縮れっ毛の髪を丸めて髷を結っているものの、似合わないことおびただしい。

パサルにやってきた日本兵は吹き出しそうになりながら、珍妙なンボタニをひとりひとり
連行して行ったという話が、インドネシアの庶民の間で伝わっていた。[ 完 ]