「イスラム国家にならないイスラム的民族国家(後)」(2020年03月11日)

1946年1月に宗教省が設けられたことは、パンチャシラが世俗主義でなくイスラムに
合致したものであることをイスラム界リーダーたちに確信させるのに大いに貢献した。1
974年の婚姻法制定ではイスラム法の規定がインドネシアの国法に挿入される道が開か
れたために、インドネシアのウラマやイスラム界リーダーたちのパンチャシラに対する見
解と心が開かれたとわたしは見ている。パンチャシラがインドネシア性とイスラム性の調
和を作り出したのだから。

インドネシア性とイスラム性のハーモニーは1989年の宗教裁判法制定にも継続し、さ
らにシャリア銀行法、ザカート法、そしてプサントレンを巻き込んだ国民教育システム法
へと続いた。1950年以来の政府と国会の方針は広範な機会と行動の余地をもたらした
結果、まだまだ改善するべき点はあるにせよ、高等教育を含むイスラム教育は驚くほどの
進展を示した。

< 守護し、維持すること >
インドネシア的諸価値とユニバーサルな基本的人権間の不整合は1945年憲法に、「自
由と権利の実践において各人は、民主的社会にとってのモラル・宗教教義・公共秩序と保
安に即した平等への希求を実現させるべく他者の自由と権利を認め尊重することを目的に
して、法律が定める制限に従わなければならない」とを表明する第28条J項を設けるこ
とで解決した。人権活動家はこの条項を依然、問題にしている。

コンフリクトに満ちた中東の状況と対照的なインドネシアの安寧は今後も守護され、維持
されなければならない。その安寧の出現はパンチャシラに対する共通の見解、つまり種族
・人種・宗教・政治姿勢・社会的経済的ステータスなどの背景にとらわれず民族構成員ひ
とりひとりに共通に存在する価値観によっている。インドネシアのイスラムは、教義の解
釈の違いが作り出している諸問題を解決するための参考例という位置付けを、多くの国の
ムスリムにもたらしている。

インドネシアのそんな好状況は、上で簡単に触れたように、われわれが民族性(インドネ
シア)と宗教性(イスラム)の統合に成功したことと無関係ではない。だからわれわれは
もはや、一個のコインの両面のようなインドネシア性とイスラム性の統合に反対する必要
がないのだ。

そのコンテキストにおいて、われわれは上で述べた宗教大臣の「われわれはイスラム教を
信仰するインドネシア民族であり、インドネシアという土地に住むイスラム教徒というこ
とではない」という表明を避けるべきだろう。わたしの見解では、われわれはインドネシ
ア民族というイスラム教徒であり、同時にイスラム教の信徒であるインドネシア人なので
ある。わたしはいまだかつて、イスラムとインドネシアの二者択一をしなければならない
ような思いを抱いたことがなく、その一方を他方よりもっと優先しなければならないと感
じたこともない。

インドネシアの安寧を守護し維持するために、パンチャシラ国家はイスラムに反するもの
と考えているイスラムグループや、イスラミヤカリフ国家を闘い取ろうとしているグルー
プに対して、偏らない思想に導く努力を続けなければならない。たとえ国外の軍事力を含
む大きい勢力の支援を得たところで、かれらの闘争はせいぜいインドネシアを中東のいく
つかの国で起こっているような物理的コンフリクト状態に持ち込むのが関の山だというこ
とをわたしは声を大にして強調したい。

パンチャシラ国家はインドネシア共和国独立の理想を実現させるのに失敗したと考えてい
るひとびとに対して、わたしはこう説明したい。パンチャシラコンセプトに間違った点は
何ひとつなく、われわれ自身がいまだにパンチャシラ国家を実現させることに成功してい
ないということが現実なのである。法の確立・行政改革・経済政策・国民の基本的権利の
充足などがそれを妨げている諸問題であり、国家基本原則に問題があるのではない。
[ 完 ]