「国家警察の発端は戦闘部隊(1)」(2020年03月23日) 植民地時代に都市警察、農業警察、フィールド警察、行政警察などさまざまな分野に分か れていた警察機構を日本軍政は一本化して単一のKeisatsu組織に変えた。軍政期のケイサ ツは統治機構に合わせて地域別の形を取った。 陸軍第16軍が統治するジャワとマドゥラ地区はジャカルタに、陸軍第25軍が統治する スマトラ地区はブキッティンギに、海軍が統治する東部地方はマカッサル並びにカリマン タン地区はバンジャルマシンに本部が置かれた。 ジャワ・マドゥラとスマトラの日本軍占領地区を統治する軍政監部には領域内治安問題を 担当する警務部が作られ、警務部長にはカハル・クスマン・ソスロ・ダヌクスモR Kahar Koesman Sosro danukusumo警視が就任した。警務部長は軍最高指揮官の直属に置かれた。 警務部はジャカルタのレイスウェイクRijswijk(今のジュアンダ通りJl Juanda)にオフ ィスが置かれたようだ。 ジャワ・マドゥラとスマトラの占領地区は17州2侯地に分けられた。州はオランダ植民 地時代のレシデン区Karesidenanに該当しており、侯地はヨグヤカルタとソロのスルタン 国直轄領である。各州の地方行政は州長官が統括し、その中には警察分野も含まれていた。 州内の治安問題は州長官が責任を持つ形になっていたということだ。 必然的に州庁の中に警察部が設けられ、その呼称は後に治安部に変更されたが、それはと もあれ、警察部は州庁の中に事務所を持たず、別の場所で担当域内の治安維持と民生の安 定のためのルーチン業務を遂行した。 州の下部行政ヒエラルキーは次のようになっていた。植民地時代のものと比較対照して見 ると分かりやすい。 Propinsi(Provincie) ⇒ X Karesidenan(Afdeling) 州sjuu (karesidenan) Kabupaten(Regenschap) 県ken (kabupaten) Kawedanan(District) 郡gun (distrik) Kecamatan(Onderdistrict) 村son (kecamatan) Desa 区ku (desa) 詳細は「行政区画名称の変遷(2)」(2020年1月7日) http://indojoho.ciao.jp/2020/0107_1.htm をご参照ください。 県長bupati・郡長wedana・村長camatには部下として3〜10人の警察エージェントagen polisiが与えられた。特に郡長には警察マントリ階級の者が一名配属されて、警部補 Pembantu Inspektur Polisiとして現場統括の職務に就いた。 ニッポンケイサツは植民地警察機構を廃止したと冒頭で書いたが、デサレベルだけは温 存した。ポリシデサだけは生き永らえたのである。そこまではとても手が回りきらなかっ たというのが実態だったのかもしれない。ただし数年後に隣組制度が開始されたことによ って、ポリシデサの機能は変化せざるを得なくなる。住民共同体が地元の安寧と治安の維 持に責任を負う体制になれば、ポリシデサの共同体内における位置付けは異なるものにな って当然だろう。[ 続く ]