「プレマン、誇るべし」(2020年03月23日)

ライター: 文司、バンドン在住、スジョコ
ソース: 2003年3月22日付けコンパス紙 "Bangga sebagai Preman"

学友たちはかれをシーと呼んだ。一族の者はハウチョンと呼んだ。今やシー・ハウチョン
はやんごとなき爺さんだ。だが精神はいまだに若い。
「ハロー、シー。わあ、健康そうだなあ。秘密は何だい?」
「簡単なことだ。頭の回転が鈍らないように、身体をよく動かすように、そしてベートー
ベンを楽しむんだよ。生涯プレマンの人生だから、わたしゃ、ビジネスと財務のニュース
が大好きだ。」
「生涯、何だって?プレマンの人生?」
「ああ、あんたも知ってるじゃないか。わたしゃ昔からビジネスマンだった。あんたみた
いなお役人ambtenaarじゃないよ。」シーはケケケと笑う。もちろん昔は公務員などとい
う呼び方をしなかった。シーは続ける。
「プレマンは役人の対義語だ。プレマンは独立独歩であり、役人はオランダ人に奉仕する。
独立独歩とは自由な生き方、自立者なんだ。」
「ああ、そりゃ分かるがね、あんたはプレマンを自称するのか?ビジネスマンは悪人じゃ
ないぜ。」
「あんたのロジックはどこをさまよってるんだ?わたしゃ役人でもなければ兵隊でもなく、
警官でもない。つまりは自由人vrije man、つまりプレマン。英語で言えばfree manだ。
わたしゃプレマン運送事業もやったことがある。今で言うアンコッangkotだ。へへへ。昔
はオプレッOpletと呼ばれた。オペルOpel製の小型乗り合いOpletteが名前の由来だったな。
でもわたしの運転した車はオースティンAustinだった。あの時代はオースティンとモリス
Morrisが道路を埋めてたよ。わたしゃキングオブザロードの気持ちだったね。へへへ。あ
んたはお役人だったからなあ。どんな気持ちだったかね?奴隷の心持ちだったか?」
「ふざけるのはよせ。」
「だって、わたしみたいに善良なプレマンをつかまえて、悪者などと言うからだ。」
「わたしが言いたいのは、今やプレマンとは悪人の意味で使われてるんだよ。」
「悪人だったらプンジャハッpenjahatと言えばいいじゃないか。なんでプレマンの意味を
捻じ曲げてしまうんだ?」
「なんで、と聞かれても答えようがないが、ともかく一般にその意味で使われてる。」
「そりゃジャカルタの報道機関とテレビ局が無理やり一般化させたんだろう。プレマンの
意味をひっくり返すようにジャカルタのメディアに命じたのはいったい誰なんだ?そいつ
らはわたしとわたしの家族、子供たちを侮辱している。わたしの一家はみんなプレマンな
んだから。」
「じゃあ、そのプレマン・・・じゃなくて、悪者は何と呼べばいいんだ?」
「プンジャハッでいいじゃないか。何を面倒なことを・・・・」
「じゃあ、今流行しているのはプレマニズムpremanismeじゃなくてプンジャハティズム
penjahatismeか?」
「アドゥ〜、またぶち壊す。perjahatanで十分だ。今の時代は何でみんなものごとをぶち
壊したがるんだ?」
「しかしイズムという接尾辞は、今じゃ大衆化してるんだ。」
「ぶち壊し屋の間で、だろう。イズムは西洋由来の接尾辞だから、西洋語につけるべきだ。
たとえばバンディティズムbanditismeというように。」
「わあ、banditは言いすぎだ。もっと妥当な言葉はないのかな?」
「妥当な言葉ならプリブミpribumiだ。へへへ。たとえばbajulという言葉ならよく聞こえ
るか?そこからkebajulanやperbajulanという形が作られる。どう?賛成?あんたも
membajulをやればいい。」
「問題はただ、bajulという言葉がどれほど世間に知られているか、だ。」
「bangsatならどうだ?意味が分からないふりをする奴がいるかね?われわれのkebangsatan
は今や旺盛なものになっている。若者たちをmemperbangsatする推進者が大勢いるという話
だ。あんたもperbangsatanに熱を入れてやればいい。」
「ワドゥ〜、そりゃちょっと神経を逆なでしすぎるんじゃないの?」
「よし、それじゃあbegajulで行こう。あんたはまだワドゥ〜を続けるかね?あんまり頻繁
にやらない方がいいよ。でないとperwaduhanができあがるから。」
「ほかの言葉はないかね?もうちょっとマシの・・・」
「こうすりゃあいいんだよ。世の中であまり知られていない呼び名を使う。そうすればみ
んな短絡反応を起こさない。たとえばbangsat野郎をjaruとかjaharuなどと呼ぶんだ。た
いていみんなその意味を知らないから、即座に感情的反応を示す者はめったにいない。意
味はbangsatとまったく同じなんだけどな。今やだれもかれもがberjaru-jaruの時代だ。」
「こうなんだよ、シー。もっと音の響きが・・・・上等・丁寧・ホンワカ優しい・・とい
うようなものはないかね?」
「おおおっ、あるある。われわれは豊かなインドネシア語を持っている。たとえばdurjana
だ。とてもフレキシブルに使える。jahatにもpenjahatにもkejahatanにも代替できる。
janaは人を意味しており、dur-という接頭辞はあらゆるものに付いて良くない意味を表す。
dursila, durbudi, durlaku, durcita, durpimpinなどのように。」