「プガメンとプレマンは同一か?(後)」(2020年03月27日)

ありえる話は、プレマンがプガメンのふりをして客に金を強要しているシナリオだ。かれ
らはあらゆる状況下にスキを見出しては悪事を行う。単にスリを行うだけの者もいれば、
強盗をする者もいる。きわめてソフィスティケートに事をなす者もいれば、野蛮きわまり
ない者もいる。

おかげでストリートプガメンのイメージは台無しだ。しかしプガメンたち自身は体の中に
できるそんな膿を切開してきれいにするほどの度胸を持っていない。各大都市にはプガメ
ンの組合が作られているが、プガメンのふりをして行われるプレマニズムは放置されたま
まだ。一般大衆はプガメンの皮をかぶった狼をプガメンとしか見ないために、プガメンへ
の反感が積み重ねられていく。


ヨーロッパの大都市にいるプガメンと比べてみるがよい。クオリティあるショーを演じて、
その努力に対して通行人が気持ちのこもった小銭を渡し、それがかれらの収入になるのが
ヨーロッパだ。

パントマイムであれ、道化芝居であれ、素人バンドグループであれ、サックスのソロ演奏
であれ、立ち止まってかれらの芸を楽しもうとするひとびとは、それなりのエンターテイ
メントによって癒される。プガメンが観客にアプローチしていくことはない。かれらはそ
の優れた能力で観客を引き寄せるのだから。観客は自分の意志でそこにやって来て、演じ
物が1セッション終われば自らすすんで小銭を演者に差し出すのである。そんな形で浄財
を得る姿は、見ていてなんと気持ちの良いものであることか。


歌手のイワン・ファルスは、プガメン時代にそれで得られる金額の多寡をほとんど気にし
なかったと述べている。かれは貧困家庭の息子でなかった。かれは自分の歌声と自分の作
品をできるだけ多くのひとに聞いてもらいたくて、都バスの中で歌っていた。だから今の
ような伝説的大物歌手になった自分をプガメン時代には想像もしていなかったと述懐して
いる。そんなイワン・ファルスがプガメン時代にプレマンの真似をしたはずがない。背中
に鎌や赤斧を挿してバスに乗ったはずはないのだ。かれはギターを抱えて動き、あちこち
の地区に友人がいた。かれはマージナルな人間と親しく交わった。

スラバヤのブグラシBungurasihバスターミナルには昔、痩せて鼻ひげをたくわえ、目のく
ぼんだ長髪の、ゴンブロGombloh(故人)そっくりのプガメンがいた。持ち物はミニコンポ
とマイク。かれのカラオケ歌唱はなかなかのもので、しかも礼儀正しかった。善人は必ず
恵みが与えられる。もし今日だめでも、明日がある。間違いはない。

バンドンでは、ハリー・ルスリHarry Roesliがプガメンたちを集めて妥当なレベルの音楽
知識と訓練を与えた。おまけに特別な催事が企画されて、かれらは公衆にその腕前を披露
した。もちろん、ハリー氏の業績と名前がそれを保証していたのだが。ともあれ、かれら
に対して、人間的な政策と善意が寄せられていいはずだ。

だから全ジャボデタベッのプガメンたちをわれわれは、イワン・ファルス、ゴンブロ、フ
ランキー・サヒラトゥアFrankie Sahilatua、ハリー・ルスリなんだと見なしてやろうじ
ゃないか。[ 完 ]