「ジャカルタ首都警察(1)」(2020年03月30日) ジャカルタ首都警察Polda Metro Jayaの前身は植民地警察時代の1936年に発足したバ タヴィア警察本部Hoofdbureau Van Politie Bataviaにさかのぼる。発足に当たってオラ ンダ人ピーター・デッカーPieter DekkerがチーフコミッショナーHoofd Commisaris Van Politie、ルイーズ・デッカーLouise Dekkerが副チーフコミッショナーAdjunct Hoofd Commissarisに任命された。 その当時バタヴィア警察本部はバタヴィア市内を管轄し、別組織としてのフィールド警察 Veld Politieが次の諸地区を所轄にした。 1.ブカシBekasi 2.大チリリタンCililitan Besar 3.タングランTangerang = タングランはタングラン市Kota Tangerang、バララジャBalaraja、チュルッCurug、 マウクMaukの四地区警察Polsekから成る。 4.クバヨランKebayoran = 現在の南ジャカルタ市警の前身で、南ジャカルタ市警本部が今でもその敷地建物を使 っている。 市内を管轄する警察はPolisi Kota、市外を管轄する警察はPolisi Karesidenanとも呼ば れた。 当時のバタヴィア市内というのは、現在のジャカルタ行政区域よりはるかに狭い地域であ り、それを七つの地区警察Politie Sectieと5カ所の分署Rand Datachement (Sub Sectie) がカバーした。 [地区警察署] Polsek I : タンジュンプリオッTanjung Priok 現在のJl Raya Pelabuhan Polsek II : グロドッGlodok 現在のグロドッ商店街 Polsek III : パサルバルPasar Baru 現在のパサルバル商店街 Polsek IV : ジャティ/ガンビルJati/Gambir 現在のガンビル地区警察署 Polsek V : メンテンMenteng 現在のメンテン地区警察署 Polsek VI : プラパタンクウィタンPrapatan Kwitang 現在の機動旅団分署Pos Brimob Polsek VII : ジャティヌガラJatinegara 現在の東ジャカルタ市警本部 [分署] プシンPesing カレッKaret パルメラPalmerah チュンパカプティCempakaPutih パサルボPasar Rebo 下は分署レベルに至るまで、すべての署長はオランダ人で独占された。 バタヴィア警察本部は最初モナス北側の北コニングスプレインKoningsplein Noordでオー プンしたが、その後西コニングスプレインKoningsplein Westに移転した。北コニングス プレインとは東インド総督官邸(現在の大統領宮殿)のあるレイスウェイクRijswijk地区 であり、西コニングスプレインはモナス公園西側の西ムルデカ広場通りJl Medan Merdeka Baratだ。 ただし、バタヴィア警察本部が建てられた場所はムシウム通りJl Musiumに面したモナス 公園側だったようで、現在の西ムルデカ広場通りを見ればわかる通り、通りの東側は完ぺ きに公園の敷地になっているから、その建物は跡形もなく取り壊されたにちがいあるまい。 その位置を探す中でオランダ語情報の中に奇妙な内容を見つけたことを追記しておこう。 まず、西コニングスプレインのバタヴィア警察本部はホテルコニングスプレインの跡地に 建てられたとの文が見つかった。更にホテルコニングスプレインの場所は原住民向け法律 学校School tot Opleiding van Inlandsche Rechtskundigenが建っていたところだという 情報も見つかった。[ 続く ]