「ジャカルタ首都警察(2)」(2020年03月31日) さて、その原住民向け法律学校というのは1924年にオープンして日本軍がバタヴィア を占領する1942年まで続けられており、また学校の建っていた住所は現在の西ムルデ カ広場通り13−14番地であるというインドネシア語情報も見つかっている。そこは現 在インドネシア政府国防省がある場所だ。 ホテルコニングスプレインの始末年が見つからないのだが、1922年にオランダ人がそ こに宿泊した手記があるので、法律学校に関するデータが他の情報の信ぴょう性を打ち壊 してくれる。インターネット時代は情報を得やすい一方で真実から遠ざかって行くばかり だという時代の恐怖をますます強く感じさせてくれるありさまだ。 バタヴィア警察本部の諸部門は、犯罪捜査Crimenele Recherse、経済捜査情報局Economise Recherse Inhlichtingen Diens、鑑識Dactyloscopic & Fotografie、倫理警察Voerwezen Verkeers Politie、装備Magazijn、事務管理Administrateで構成されていた。また交通警 官は繁華街や大通りに出て交通整理を行った。オランダ人学校の周辺で通過する自転車の 交通整理もした。交通整理警官の手伝いをするオパスopasと呼ばれたプリブミ警官はアン ボン人が多く、サーベルと拳銃を提げ、ゲートルに帽子姿でSTOPと大書された札を掲 げて赤信号の代わりを務めていた。 植民地時代の警官は汚職をしなかったと古き良き時代を懐かしむひとびとは物語る。違反 を犯した者が魚心に水心で見逃してもらおうと贈賄しても通じないし、ましてや違反を犯 させて魚心に水心の収賄をしようと企む警官もいない。法規はただ守るためにあるものと いうシンプルでノーマルな時代がそれだった。だからその時代を懐かしむひとびとは当時 をノーマル時代zaman normalと呼んだ。インドネシア共和国になってから、がらりと様相 が変わったのである。 不法徴収金pungutan liar = pungliが当たり前の時代になった。荷物を積んで走るトラッ クが不良警官の好餌だ。積んでいる品物が何であれ、路上の警官はトラック運転手に分け 前を要求する。それがプンリと呼ばれるものだ。渡さなければ警官は難くせをつけて違反 を言い立て、罰金を払わせようとするから、最初から和解金uang damaiを渡す方が手間と 時間がはぶける。 この種の闇金は商品の流通コストに上乗せされるから、結局はその最終負担が消費者に回 って行く。インドネシアの経済が公表されているコストだけでは成り立っておらず、腐敗 したアングラマネーがそこに上乗せされなければならないのだが、このアングラ経済は統 計数値の得られない、あくまでも推測の範囲にとどまってしまうものなので、公表されて いる数値は信頼のおけないものになってしまう。 ともあれ、路上警官が収賄も不法徴収も行わなかったのと裏腹に、警察上層部は汚職にま みれていたようだ。1923年9月8日、バタヴィア警察本部ファン・ロッセンVan Rossenチーフコミッショナーは警察予算着服容疑で逮捕された。チーフコミッショナーは 赤色ハドソン高級車、デラックスヴィラ、おまけにオランダ本国にもヴィラを所有し、給 与に見合わない豪勢な暮らしをしていることが疑惑の発端になった。 上層部は腐っても、行政機構の中間から下はノーマルだった植民地時代のありさまは維持 されず、共和国が始まってからは現場での腐敗が進行し始めた。ところがスハルトレジー ムが始まると、中間から下、中でも直接国民が接触する住民行政における腐敗を中央政府 は厳禁する姿勢を示し始める。中央政府は汚職まみれであっても、それは雲の上のできご と。国民は自分の生活領域で不法徴収から免れていれば、現政権への肯定的感情は育まれ て行く。国民に対する心憎いまでの人間心理の操作は、生活環境の中に歴然と示された。 [ 続く ]