「コニングスプレイン(8)」(2020年05月22日)

共和国時代に入ってガンセクレタリーがヴェテランIII通りに変わったあとの1960年ご
ろまで、この通りには商店や会社のオフィスが並んでいた。ファン・アルケンの店があっ
た場所は米国映画輸入者協会が入ってハリウッド映画を国内の映画館に配給していた。左
翼グループが米国をはじめとする西洋映画のボイコットを叫んでいた時期に、その建物は
暴徒の襲撃を受けて炎上したこともある。


レイスウェイクの東端からおよそ百メートル手前の土地に1834年、ヤファホテルGrand 
Hotel Javaが建った。この地所もヴェテラン通りからコニングスプレインに至る縦長の土
地になっており、たっぷりとスペースの余裕を取ったパビリオンの配置は風がよく通って
涼しいことから、宿泊客の評判はたいへん良かったそうだ。地面から4フィートの高さに
床が作られている部屋もあり、そこはまた格別の涼しさだったらしい。直接コニングスプ
レインに出られる便宜を生かすべく馬と馬車が用意されていて、客はコニングスプレイン
で馬を駆ることもできた。

このホテルは部屋数が70室だったと1909年の記録に記されている。いかに空間を贅
沢に使っていたかをそれが物語っているようだ。確かに長期滞在家族客にとって、そこは
素晴らしいホテルだったにちがいあるまい。

ヤファホテルは共和国独立後もしばらく存続していたが、結局閉業した。その後土地の北
半分は共和国軍陸軍が総司令部を置き、南半分は共和国政府内務省が庁舎を置いている。


コニングスプレイン北側のレイスウェイクと呼ばれたエリアの東端はヴィルヘルミナパル
クとレイスウェイクを隔てるシタデルヴェフCitadelweg(今のヴェテランI通り)で、東
端北側角地には一世紀半の歳月を経たホテルスリウィジャヤHotel Sriwijayaが建ってい
る。

ファン・デン・ボシュ総督の時代に、ヴィレム・カヴァディノConrad Alexander Willem 
Cavadinoがその土地を買った。コンコルディア軍社交場で宿泊施設部門を担当していたカ
ヴァディノは1863年、そこにレストランとケーキ店を開いて事業を行った。西のレイ
スウェイク通りと同様、シタデルヴェフもバタヴィア第一級の商店街になっていたようだ。

カヴァディノは1872年にレストランをやめてホテル業に転向し、ケーキ店はキャンデ
ィ・チョコレート・葉巻・ビールやワインなどのアルコール飲料を販売するトコカヴァデ
ィノToko Cavadinoという名の小売店に変身した。ホテルカヴァディノは1898年まで
存続し、1899年にホテルデュリオンドルHotel du Lion d'Orに変わった後、1941
年にパルクホテルPark Hotelになって日本軍政を迎える。それがホテルスリウィジャヤに
なったのは1950年代半ばごろらしい。独立直後は共和国空軍が寮に使っていた。

このスリウィジャヤホテルこそが、ジャカルタで最古の建物をいまだに保っているホテル
とされている。もちろん古くなれば木材が傷むのは当然で、1999年に改修工事が行わ
れているが、レイスウェイク地区内のホテルが軒並み政府機関に変身した中にあって、東
端に位置するこの三星級ホテルだけが19世紀の香りを今に残してくれている。


シタデルヴェフ沿いにホテルスリウィジャヤから下って行くと、植民地時代に栄えた商店
街が出現する。1932年開店の、イタリアンアイスクリームで一世を風靡したラグサ
Ragusaは、ルイジとヴィチェンツォ・ラグサの兄弟が始めたアイスクリームサロンdie 
Italliaanse ijssalonだった。[ 続く ]