「コニングスプレイン(10)」(2020年05月27日)

コニングスプレイン西Koningsplein Westに目を向けてみよう。

ハルモニー社交場がオープンし、レイスウェイク通りRijswijkstraatをはさんでオジ・フ
レールOger Freresを筆頭にするバタヴィア最高級商店街が南に連なったころから、レイ
スウェイク通り両側の南詰めエリアは高級住宅地になっていった。その流れから見るなら、
マジャパヒッ通り(昔のレイスウェイク通り)からタナアバン市場に向かってまっすぐ南
西に下っていくアブドゥルムイスAbdul Muis通り(昔のタナアバンヴェストTanah Abang 
West)とモナス広場に沿った西ムルデカ通り(昔のコニングスプレインヴェスト)が作り
出す三角地帯に邸宅が建てられていくのは時間の問題であったように思える。ただ、わた
しの憶測を証明するデータをわたしはまだ見つけていない。

1858年にバタヴィアを訪れた旅行者は手紙にこのような内容を書いている。
コニングスプレインはキングの名が冠されるにふさわしい場所だ。この広大な場所でとき
どき軍隊が軽砲の試射を行っているものの、その広さゆえに近隣の住居に住むひとびとに
不安や不快を与えることはない。バタヴィア競馬クラブの競馬場がフェンスの中に設けら
れているが、その大きさがほとんど実感されない。コニングスプレインは少し歪んだ四方
形で、疲労をいとわないときに歩いて一周しようとすると、ほぼ一時間かかる。四週はよ
く整備された道路が境界をなしていて、タマリンドの木が連なり、道路向こう側は美しい
ビラが並んでいる。この地区に住むバタヴィア住民は表の道路を散歩することを好み、毎
日夕方5時半から6時半までの間、歩行者、騎馬、馬車で路上を徘徊するひとびとに必ず
出会うことになる。日中の暑熱は顕著に涼しさを増し、西の地平線は沈みかかる太陽が鮮
やかな残光を投げかけ、生きる歓びの妙味が全身を流れる。しかしながら、闇のとばりが
降りて来る速さに、われわれは無念の思いを抱くのである。

もちろん、あらゆる人間が賛辞を与えたわけでもなく、中にはバタヴィアの空間感覚が広
すぎて無駄が多すぎ、そのシンボルがコニングスプレインで、もっと経済性のある用途に
有効活用されるべきだ、と狭いオランダの街を擁護する弁を述べたひともいる。人間の価
値感覚は決して一律になるものではない。


コニングスプレイン西の区画で最初に誕生した大型建築物は、1864年に建てられたバ
タヴィア芸術科学ソサエティBataviaasch Genootschap van Kunsten en Wetenschappen本
部館だった。それが今の国立博物館Museum Nasionalだ。地所は区画のちょうど中央あた
りで、この大型建物が建てられる前、その場所にはバタヴィア競馬クラブBataviaasche 
Raceclubの厩舎があった。コニングスプレインの一部で競馬が盛んに行われていたことを
それが証明している。

その頃その地区にはまばらに民家も建てられていたようだが、具体的な状況はよく分から
ない。20世紀初にはソサエティ本部の北側にモダンな建築様式の家屋がふたつあった。
住居として建てられたその家屋は他の地区の住居に比べて土地が狭く、そのために二階建
ての構造になっていて、邸宅という雰囲気は薄い。その家屋は1994年に開始された国
立博物館拡張工事のために取り壊された。

最初からあった国立博物館本館の北側に接して建てられた現代的ビル構造の新館ユニット
Bは2007年6月20日に当時のSBY大統領がオープニング式典を行った。それから
ほどなくわたしも見学に訪れたが、展示技術が格段の進歩を示していたことに驚かされた
ことを覚えている。[ 続く ]