「シリ文化」(2020年06月04日) ライター: 西スマトラ出身の詩人で放浪家、ジャカルタに寓居、リキ・ダンパラン・プ トラ ソース: 2011年6月28日付けコンパス紙 "Mengindonesia dengan Sekapur Sirih" われわれみんなは同じじゃないが、シリsirihを噛めば同じになる。この句はインドネシ アの多様な種族と文化が一体化してひとつの民族になる、つまりインドネシアになるとい うことを描き出すもうひとつのサンプルだろう。そのプロセスは、伝統や習慣における実 際の行為やシンボルとしての意味におけるnyirih、つまりシリの葉を噛むことというひと つの媒体を通して既に起こっていたのである。 スマトラやスラウェシあるいは東部インドネシア地方の辺鄙な土地を訪れたことのあるひ とは、接触した種族社会の中でそのニリの伝統を目にし、あるいはそれに参加する機会を 得ただろう。ティロンクパンTilong KupangやナゲケオNagekeoにあるような地元伝統社会 でシリを食べる習慣は男女ともに現代まで続けられている。 使われる材料も地方による違いはなく、シリの葉daun sirih、カプルkapur、ピナンpinang、 ガンビルgambirが使われる。違いがあるのはカプルの種類で、加工技術の差やその習慣に 関わっている言い伝えなどが違いを生んでいる。シリというのは、われわれのローカル文 化の中で、数千年も前から尊重されてきたものだったのである。 < アダッにおけるシリ > ミナンカバウでシリは祝宴、婚約、結婚などの客を招いて行ういろいろな催しの小道具に 用いられる。南スラウェシでは、有名なsureq I La Galigoのひとつのバージョンで、主 人公のラ・ガリゴがシリを噛んで落ち着きを取り戻そうとしたエピソードが物語られてい る。 古いバタッBatak族の物語を読んでも、タマンシリTaman Sirihと呼ばれる薬草園が同じよ うに登場する。古代バタッ社会でタマンシリの存在はその主人の医学に対する関心の深さ についてのステータスシンボルだった。同じようにヌガラクルタガマの書にもシリの記述 が見つかる。王たちの間で互いにもてなしあうためにシリの葉が頻繁に登場するのである。 人間の健康にシリが効能を持っていることは疑う余地がない。現代保健学もこのハーブの 効能を取り上げている。しかしヌサンタラのローカル文化でシリの効能は現代人の知識を 超えたものだった。シリはさまざまな慣習儀式に登場して敬意と連帯を踏まえた文明遺産 の存在を象徴するものにされた。スマトラのムラユ社会でシリは、結婚式などのさまざま な慣習上の祝宴で客をもてなしたり、師に敬意を表したりするための役割を果たした。 西スマトラの多くの地域では今でも、田でのゴトンロヨンを行ったり、家を建てたり、礼 拝所を修繕したりするために村の衆を招くとき、シリが使われている。そのシリの使い方 にも段階がある。ただ招くだけであればシリの葉は一枚だけでよく、儀式のための道具や 諺の祝辞はいらない。ところが結婚申込のようなフォーマルな祝宴となると、シリを噛む のを勧める前にパントゥンの応答が行われる。 パントゥンの応答が行われている間、シリを置いておくためにチャラナcaranaと呼ばれ小 箱が用意される。華麗に見えるよう、チャラナは金糸で刺繍された布の上に置かれ、カプ ル・ガンビル・ピナンが一緒に用意される。このしきたりは、誠実さと敬意を示すものと されている。儀式や行為に付き添うものとしてsekapur sirihという慣用句がそこから生 まれた。ムラユ文献との関わりで今日まで残されている口承文化である。 < 精神的在り方 > そこに生命を吹き込んで見るなら、このシリ文化行事において顕著な精神は、精神的な在 り方、つまり物質的な儀式の進行の中で働く誠実さと尊敬の感覚が持つ役割だろう。苦く 酸っぱいシリは、他人への敬意と誠実さを基盤に据えた文化的行為に伴われてあたかも甘 味を感じさせるものになる。 そのようなプロセスによってシリはコミュニティ間の親睦と意思疎通の媒体となるだけで なく、何千年も昔からヌサンタラ社会の先祖たちが発展させた文化遺産の維持と継承のシ ンボルともなるのである。この側面をわれわれは現代生活の中に反映させるべきではない だろうか。 生活表現や勤労の中で一体の意識と連帯感情を交わすためのその精神的在り方が今では色 あせて機能しなくなっている。成長を続けるアーバニズムは確かにこの精神的在り方の余 地を削り取っているのだ。ヒューマニズムと社会エンパシーにとってこの乾いた不毛の状 況を政府が合法化しているのは悲劇的だ。たとえば、文化が観光を担当する省の下に置か れているのがその一例だ。 その方針は社会的文化的伝統が物質的見地からのみアプローチされていることを示してい る。シリ、ニリ、伝統的儀式などは自由市場で廉価商品にされている。かつて周辺世界に 大きい影響を及ぼした文明を持つ国にとって、そんな状況は奇妙であり、また笑止なこと でもあるにちがいあるまい。