「バタヴィア紀行(4)」(2020年06月22日)

蒸気客船ネーデルランド号はインド洋の波の上を走っている。一等と二等の乗船客は上の
方にいるが、われわれ兵士は船倉だ。乗船客が上で自由な暮らしを謳歌しているというの
に、植民地軍に派遣される兵士は分遣隊指揮官の号令下に兵舎暮らしの延長を続けなけれ
ばならない。

上が突然騒がしくなった。船がスンダ海峡に入ったのだ。ジャワ島の陸地が見える。緑の
島々が、そして密林と咲き誇る色とりどりの花に覆われた海岸が、波しか見えなかった単
調な船内の暮らしを一変させた。海の真ん中で煙を吐くクラカタウ島もある。漁民の小舟
が徘徊し、海峡の向こうのジャワ海を南北に走る蒸気船も見える。あれはリアウやシンガ
ポールに向かうKPM(Koninklijk Paketvaart Maatschappij)の客船だろう。

ネーデルランド号に乗っている客は手すりや窓から、飽きもせずに美しい陸地を眺めてい
る。昼寝をしようという考えはどこかに置き忘れて来たかのようだ。

夜になっても、上の方は静かになる気配もなく、昼間のように賑やかで、おまけに合唱の
歌声まで飛び交っている。ほどなく、この長い船旅は終わるのだ。長い道程の終わりを迎
えて、船旅をつつがなく遂行してくれた船長と乗務員たちに謝辞を述べ、別れの歌を合唱
するのも、センチメンタルな気持ちをかき立ててくれるものだ。

船の進行方向のずっとかなたに光が見え始めた。それはタンジュンプリオッTanjung Priok
港の明かりだ。「陸の匂いがするぞ。」と、もう12回もこの航海を経験している水夫が
言う。入港許可を意味する火矢が放たれ、港湾パイロットが上がって来た。

船の右手に海軍の舟艇が何隻か現れて、歓迎の叫び声を上げている。ネーデルランド号の
乗客も、それに応えて叫び声を上げた。海底が浅くなり、船は速度を落とす。ライトに照
らされた埠頭が奥の倉庫と一緒にぐんぐん船に近寄って来る。これはまるでヨーロッパだ、
とわたしは思った。だが埠頭に集まって手を振っている群衆は、白いスーツのヨーロッパ
人、褐色の肌のプリブミ、黄色い華人などがごちゃ混ぜになっている。そう、ここは東イ
ンドなのだ。

兵士たちが国家を歌い始めると、乗客も一緒になって国家を歌い出した。気持ちが引き締
まって来る。歌い終えたわれわれは、三度歓呼した。船が接岸してはしごが下ろされると、
喧噪が渦巻いた。乗客たちは先を争って陸地に降りようとする。埠頭にいる群衆も、船に
上がろうとする雰囲気が満々だが、降りる者を優先しなければならない。

将校を除いて分遣隊の上陸は禁止され、翌日まで船内にとどまるよう命じられた。東イン
ドの最初の夜は船内で。これは未知の東インドがわれわれに与えるすさまじい歓迎の初体
験でもあったのだ。港周辺の湿地から立ち昇って来る激しい腐敗臭、そしてヨーロッパ人
の血を求めて襲い掛かって来る蚊の大群。これでは眠れるわけがない。わたしはパイプを
出してタバコを吸い始めた。身の回りをタバコの煙で埋めることで、蚊の襲撃は多少とも
軽減されたようだった。


翌朝、全員が鉄道駅の乗り場に並んで列車が来るのを待った。タンジュンプリオッ駅から
ヴェルテフレーデンWeltevreden駅まで行くのだ。もちろん、ヨーロッパ人やプリブミの
一般市民も混じっている。

やって来た列車が出発すると、われわれは一言も発することなく車窓からの風景に見ほれ
た。停車する駅は小さい駅舎で、たいして印象的でない。列車を待っていたひとびとは、
先を争って乗り込んでくる。街中に入ってしばらく行ったころ、行進曲の演奏が聞こえて
来た。われわれを歓迎するために、ヴェルテフレーデン駅で軍楽隊が待ち構えていたのだ。
昨夜先に船から降りた分遣隊指揮官が政府要人と談笑している姿が見えた。

駅にいた娘さんのひとりが、「この兵隊さんたち、男らしいわね。」と言っている声がわ
たしの耳に聞こえた。そうかもしれない。東インドにいるヨーロッパ人男性たちは概して
青白くなよなよしているひとが多いようだから、われわれと比べるとそう見えるのだろう。
しかし後になってわたしは、顔色が青白いのは不健康の印でなく、暑さのせいでそうなる
のだということを悟った。[ 続く ]